4 平安時代

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源倫子:藤原道長を出世させた正妻とは?

源倫子(みなもとの ともこ/りんし)は10世紀の平安時代の女性。藤原道長の正妻です。源倫子は宇多源氏出身。宇多天皇のひ孫で父は左大臣・源雅信。結婚した時は源倫子の方が道長よりも格上で、道長が逆玉の輿婚状態でした。源倫子は2男4女を産み、3人...
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藤原為時・紫式部の父親は有能な詩人

藤原為時(ふじわらの ためとき)は平安時代の貴族で詩人紫式部の父親です。藤原北家の一族ですが貴族としては中堅クラス。あまり高い身分ではありません。祖父の代から学問には熱心で、一流の文化人との交流のある家でした。為時も学問に熱心。皇太子の学問...
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藤原惟規・紫式部の兄弟は意外と文才があった

藤原惟規(ふじわらの のぶのり)は平安時代の貴族。紫式部の兄弟です。紫式部と惟規の生年がはっきりしないので兄とも弟ともいわれます。藤原惟規はどのような人物だったのか紹介します。藤原惟規名前:藤原惟規(ふじわらの のぶのり)生 年:天延2年(...
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藤原 宣孝:紫式部と歳の差結婚したモテオヤジ

藤原 宣孝(ふじわらの のぶたか)は平安時代の貴族。紫式部の夫です。宣孝は紫式部の父親の同僚。紫式部とはほぼ親子ほどの歳の差があります。宣孝には紫式部以前にも3人の妻がいましたし、他にも付き合っている女性はいました。オシャレで女性にもモテた...
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藤原兼家・花山天皇を退位させ権力を手にした策士

藤原兼家(ふじわらの かねいえ)は平安時代 中期の貴族。藤原道長の父親です。藤原北家九条流の一族。花山天皇を騙して退位に追い込み、娘の産んだ懐仁親王(後の一条天皇)を即位させました。藤原兼家は天皇の外戚として力を持ちました。藤原道長が大きな...
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藤原道兼・花山天皇を唆して出家させ七日関白と呼ばれた貴族

藤原道兼(ふじわらの みちかね)は平安時代 9世紀ごろの貴族。藤原道兼は、平安時代中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の三男です。同母の弟妹には詮子、道長らがいます。道兼は父・藤原兼家の命を受けて花山天皇を元慶寺に連れ出して天皇...
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藤原道隆・短い間の繁栄だった中関白家の祖

藤原道隆(ふじわらのみちたか)は平安時代 9世紀ごろの貴族。藤原道隆は、平安時代中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の長男です。同母の弟妹には道兼、詮子、道長らがいます。父・藤原兼家の死後に関白になり。娘・定子を女御として入内さ...
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高階貴子/儀同三司母・中宮定子の母は才能豊かな歌人

高階 貴子(たかしなの たかこ)は平安時代の貴族で女流歌人。一条天皇の中宮になった藤原定子の母。小倉百人一首では「儀同三司母(ぎどうさんしのはは)」と紹介されています。女房三十六歌仙のひとりにも選ばれています。高階貴子は和歌や漢詩が得意な才...
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清少納言・皇后定子に仕え枕草子を書いた女房の人生とは?

清少納言は平安時代の女房で『枕草子』の作者。一条天皇の中宮・定子に仕え、華やかな宮中生活や周囲の人々をユーモアを交えて描きました。『枕草子』は現代でも多くの人々に読まれています。本記事では清少納言の生涯を結婚や恋愛、『枕草子』執筆の背景などを交えながら詳しく解説します。
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婉子女王・花山天皇の出家後は藤原実資と再婚した美人の女王とは

婉子女王は平安時代の皇族。花山天皇の女御となりましたが、花山天皇の出家後に藤原実資と再婚。しかし27歳の若さで世を去ってしまいます。婉子女王の生涯を紹介します。
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