6 戦国時代

豊臣家

豊臣秀吉の生涯を年表形式でわかりやすく紹介

豊臣秀吉は尾張の下層出身から関白・太政大臣となり、天下統一を成し遂げました。幼少期の出自の謎、中国攻め、本能寺の変、豊臣政権の成立、文禄・慶長の役、最期までを年表とともに分かりやすく解説します。
豊臣家

豊臣秀長の生涯を年表でわかりやすく解説

豊臣秀長の生涯を年表でわかりやすく解説。秀吉の名補佐としての実像や、大和大納言としての内政・軍事の働きを詳しく紹介します。
7. 江戸時代

島津斉興(しまづ なりおき)斉彬との確執はどうして起きた?

島津斉興は島津家第27代当主で薩摩藩代10代藩主。祖父・重豪のせいで、藩主になるのが遅かった斉興。重豪の影響を強く受けている息子・斉彬とも確執があり。なかなか藩主の座を譲ろうとしませんでした。お由羅騒動と言われるお家騒動も起き、あまりいい印...
7. 江戸時代

赤山靱負(あかやま ゆきえ)・島津斉彬を藩主にしようとしたが自害に追い込まれる

赤山靱負(あかやま ゆきえ)は島津家の分家筋にあたる人物。分家とはいいっても、本家の継ぎに格式の高い日置家の出身です。西郷隆盛の父・吉兵衛が日置家と赤山家の御用人をしていた関係で、隆盛とも縁の深い人物でした。ところが、赤山靱負はお家粗動で切...
7. 江戸時代

西郷吉二郎(さいごう きちじろう)・隆盛にかわって西郷家を守り続けた弟

西郷吉二郎(さいごう きちじろう)は、西郷隆盛(吉之助)の弟。西郷家の次男です。家を留守にしがちだった西郷(吉之助)隆盛に変わって、西郷家を支え実質的な大黒柱となりました。隆盛が藩や新政府の仕事に打ち込むことができたのも、吉二郎が家を守って...
7. 江戸時代

調所広郷(ずしょ ひろさと)豪腕で薩摩藩の財政を立て直し維新の基礎を作る

調所広郷(ずしょ ひろさと)は島津斉興の時代に薩摩藩の財政を立て直した人物。斉興以前の薩摩藩は浪費が多く借金が増える一方でした。それを借金の返済を減らし、膨大な蓄えができるほどに改革しました。調所広郷のやり方には強引な部分も多く評判の悪い面...
7. 江戸時代

島津久光・薩摩の国父は倒幕派から新政府の抵抗勢力になった

島津久光は幕末の薩摩を動かし倒幕に導いた張本人でありながらあまり目立たない存在です。当初は斉彬の公武合体路線を進めた久光。しかし徳川慶喜とはともに政治を出来ないと判断し、倒幕に変更します。一説には新しい将軍の座をねらっていたとも噂されますが...
井伊家

井伊直親(亀之丞)・井伊直政の父の生涯と最後

井伊直親は井伊直政の父。井伊家の分家でしたが、井伊宗家に男児がいなかったため、跡を継ぐことが決められました。早くに親を殺害され逃亡生活をするなど苦労の多い人物です。井伊家を継いで直政を設けたものの自身も謀反の疑いで殺害されてしまいました。親...
織田家

徳姫(五徳、おごとく)。松平信康の正室は織田信長の娘

徳姫(とくひめ)は、戦国時代から江戸時代初期の女性。織田信長の長女です。徳姫は漢字で「五徳」と書くこともありますが「おごとく」とよばれていました。彼女は松平信康の正室になり。岡崎殿と敬称されました。徳姫の長女・登久姫(福子)は小笠原秀政の妻...
織田家

信長に反乱を起こした松永久秀の最期は大仏殿炎上の報いか?

松永久秀は織田信長とともに足利義昭の上洛を助け三好三人衆と戦いました。ところが三好三人衆と和睦したした久秀は足利義昭と対立します。そして織田信長とも対立することになります。久秀は三好宗家が滅ぼされたあと、織田信長の配下になりました。織田信長...
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