6. 江戸時代 島津斉興(しまづ なりおき)斉彬との確執はどうして起きた? 島津斉興は島津家第27代当主で薩摩藩代10代藩主。祖父・重豪のせいで、藩主になるのが遅かった斉興。重豪の影響を強く受けている息子・斉彬とも確執があり。なかなか藩主の座を譲ろうとしませんでした。お由羅騒動と言われるお家騒動も起き、あまりいい印... 2025.02.28 6. 江戸時代島津家
6. 江戸時代 赤山靱負(あかやま ゆきえ)・島津斉彬を藩主にしようとしたが自害に追い込まれる 赤山靱負(あかやま ゆきえ)は島津家の分家筋にあたる人物。分家とはいいっても、本家の継ぎに格式の高い日置家の出身です。西郷隆盛の父・吉兵衛が日置家と赤山家の御用人をしていた関係で、隆盛とも縁の深い人物でした。ところが、赤山靱負はお家粗動で切... 2025.02.27 6. 江戸時代島津家
6. 江戸時代 西郷吉二郎(さいごう きちじろう)・隆盛にかわって西郷家を守り続けた弟 西郷吉二郎(さいごう きちじろう)は、西郷隆盛(吉之助)の弟。西郷家の次男です。家を留守にしがちだった西郷(吉之助)隆盛に変わって、西郷家を支え実質的な大黒柱となりました。隆盛が藩や新政府の仕事に打ち込むことができたのも、吉二郎が家を守って... 2025.02.26 6. 江戸時代島津家
6. 江戸時代 調所広郷(ずしょ ひろさと)豪腕で薩摩藩の財政を立て直し維新の基礎を作る 調所広郷(ずしょ ひろさと)は島津斉興の時代に薩摩藩の財政を立て直した人物。斉興以前の薩摩藩は浪費が多く借金が増える一方でした。それを借金の返済を減らし、膨大な蓄えができるほどに改革しました。調所広郷のやり方には強引な部分も多く評判の悪い面... 2025.02.25 6. 江戸時代島津家
6. 江戸時代 島津久光・薩摩の国父は倒幕派から新政府の抵抗勢力になった 島津久光は幕末の薩摩を動かし倒幕に導いた張本人でありながらあまり目立たない存在です。当初は斉彬の公武合体路線を進めた久光。しかし徳川慶喜とはともに政治を出来ないと判断し、倒幕に変更します。一説には新しい将軍の座をねらっていたとも噂されますが... 2025.02.24 6. 江戸時代島津家
6. 江戸時代 篤姫(於一)が将軍御台所になった本当の理由・紆余曲折の輿入れ問題 天璋院篤姫は13代将軍・徳川家定の御台所(正室)になりました。外様大名の島津家の分家の姫が将軍御台所になるなんて不思議に思われるかもしれません。一般には、一橋慶喜を次の将軍にするため大奥の工作のために島津斉彬が送り込んだとされることが多いで... 2018.04.15 6. 江戸時代島津家