6 戦国時代

明智家

明智光安: 光秀を後見した叔父は明智城とともに運命を共にした

明智光安は明智光満の叔父(父の弟)です。明智城を守っていましたが、斎藤義龍の軍に攻められて自害。そのとき光秀を逃したと言われます。明智光安はとはどんな人だったのでしょうか。明智光安とは名 前:明智光安(あけち みつやす)通称・官名:兵庫頭生...
明智家

妻木煕子:明智光秀との結婚秘話と最期の別れ

妻木煕子(ひろこ)は明智光秀の正室で細川ガラシャの母です。お牧の方、伏屋姫ともいわれます。光秀にとても愛された仲のよい夫婦でした。結婚話や亡くなる前のいくつかの逸話が伝わっています。妻木煕子とはどんな人だったのか紹介します。妻木煕子とは名 ...
7. 江戸時代

篤姫(於一)が将軍御台所になった本当の理由・紆余曲折の輿入れ問題

天璋院篤姫は13代将軍・徳川家定の御台所(正室)になりました。外様大名の島津家の分家の姫が将軍御台所になるなんて不思議に思われるかもしれません。一般には、一橋慶喜を次の将軍にするため大奥の工作のために島津斉彬が送り込んだとされることが多いで...
井伊家

井伊万千代・徳川家康に仕えた若き日の井伊直政の活躍

井伊万千代は井伊直政が元服するまで名乗っていた名前です。14歳で徳川家康の小姓となった万千代は、家康のそばで仕え手柄をたて続けます。わずか6年の間に300石から4万石に大出世。井伊の家臣だは徳川家康を支える有力な家臣団に成長しました。井伊万...
井伊家

井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)とは何をしたのか

徳川家康が遠江に侵攻した時、3人の部将が道案内したといいます。その三人とは、菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用です。まとめて井伊谷三人衆とよばれます。井伊谷三人衆は井伊直虎が注目される以前から知られれた存在でした。一般には徳川家康が遠江を領地にし...
井伊家

ドラマよりも多かった?井伊直虎を支えた七人の重臣たち

戦国時代の井伊家。とくに井伊直虎時代には7人の重臣がいたといわれます。井伊家やその家臣たちも長引く戦で多くの人々を失いました。家臣団も井伊直平、直盛のじだいとはまた違った顔ぶれだったようです。井伊直虎に仕えた重臣たちをみてみましょう。井伊直...
井伊家

松下源太郎清景・直政の義父

松下清景は井伊直政の母の再婚相手。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では「しの」となってる女性と結婚しました。一時期・井伊直政の養父となり、井伊家を支える重臣になります。松下清景とはどんな人だったのでしょうか。 松下 源太郎 清景とは名 前...
徳川家

於大の方・徳川家康の母は苦労人

徳川家康の母は於大の方です。家康は歴史上の超有名人ですが、その母親となると意外と知られていないのではないでしょうか?松平家に嫁入したのに、実家が裏切り離縁されたり。実家の都合で再婚したり。息子・家康に兄が殺されたり、夫が失踪したりと家康の母...
井伊家

庵原朝昌と新野左馬之助の娘(桜)

庵原氏は今川家を支えた一族。その一族のひとり庵原朝昌に新野左馬之助の娘が嫁ぎました。左馬之助といえば幼いころの井伊直政(虎松)を守って奮闘した人物です。その新野左馬之助の娘と、今川家臣・庵原朝昌は結婚しました。それだけではありません、庵原朝...
今川家

大沢基胤は徳川軍の攻撃から堀江城を守った

大沢基胤は浜名湖周辺を治める領主でした。今川義元の死後、徳川家康に攻められ敗戦続きの今川軍の中で、徳川軍相手に大きなダメージを与えた武将です。その抵抗ぶりには家康も大沢基胤の城を落とすのを諦めました。大沢基胤は家康の配下になりましたが、その...
スポンサーリンク
error: