織田家

織田有楽斎とはどんな人

織田長益。有楽斎の方が有名ですね。織田信長の弟の一人ですがあまり信長時代の活躍は聞きません。姪の茶々が秀吉の側室になると、茶々の後ろ盾となりました。大坂の陣のときには大阪城にいた人物。織田有楽斎とはどんな人だったのでしょうか。 織田長益・有...
徳川家

月光院(お喜世の方)・7代将軍生母

月光院といえば、大奥で天英院のライバルだった女性です。江戸幕府6第将軍・徳川家宣の側室。町民から家宣の屋敷に仕えやがて大奥に入り第7代将軍・徳川家継の生母となります。数ある大奥の逸話の中でも天英院派対月光院派の対立は特に有名なんじゃないでし...
豊臣家

豊臣秀頼・家康が最後まで恐れた男は大坂城と共に滅んだ

大坂の陣で亡くなった豊臣秀頼。一般的には豊臣秀吉の後継者となりながら、母親のいいなりになってる無能で頼りない人物っていわれてます。有名な人物のわりに資料も少なくて、いまだに研究が進んでないんですね。江戸時代に書かれた資料は徳川の視点で作られ...
豊臣家

豊臣秀次の死因とは?秀吉はなぜ秀次を自害に追い込んだのか

豊臣秀次はなぜ切腹したのでしょうか。秀次が謀反を企てたというのが秀次切腹の表向きの理由となっています。でも当時から秀次謀反は信じがたいこととして言われていたようです。本当に謀反であれば、切腹ではなく斬首か極刑となるはずですよね。処分するため...
豊臣家

豊臣秀次2 秀頼の誕生が死を早めた悲劇の関白

子供のいない豊臣秀吉から関白の座を譲られた豊臣秀次。関白になるまでの秀次の前半生はこちらを御覧ください。・豊臣秀次・秀吉の後継者なのに暴君・無能は濡れ衣?京の都では公家の付き合いもこなし、国内のまつりごとをおこない。無難に治めていました。秀...
徳川家

本多忠勝・徳川最強の男

徳川家康の家臣の中でも武勇に秀でた本多忠勝。徳川四天王の一人といわれ。戦場で目覚しい活躍をみせました。その活躍は武田方の武将や織田信長・豊臣秀吉からも賞賛されたといいます。豪快な性格の一方で武勇に優れた人物を尊敬し、敵でも敬意をはらう一面も...
豊臣家

寧々(北政所・高台院・於寧)秀吉と二人で作った豊臣家

豊臣秀吉の正室・北政所(寧々)。母の反対を押し切り貧しい足軽の藤吉郎と結婚し、二人で豊臣家を作り上げました。豊臣家内でも大きな影響力のある女性で、豊臣家の家臣からも慕われる存在でした。秀吉の死後は、世の中の平和と豊臣家(羽柴家)が残ることを...
豊臣家

大谷吉継・関ヶ原に散った義の名将

大谷吉継(おおたに よしつぐ)は石田三成と共に徳川家康に立ち向かった武将。最初から家康に敵対していたわけではありません。むしろ家康を天下をとれる武将と評価していました。それでも家康と敵対する道を選んだのは、石田三成との深い関係があったからだ...
豊臣家

皎月院・石田三成の妻

豊臣秀吉に尽くした石田三成。その石田三成の妻についてはあまり知られていません。石田三成の正室は皎月院(こうげついん)といいます。皎月院とはどのような人だったのでしょうか。皎月院(こうげついん)とは皎月院の名前は うた だったとも言われます。...
豊臣家

茶々(淀殿)・豊臣家の滅亡に立ち会った子供想いの強い母

戦国史上、一番有名な女性といってもいいくらい知名度の高い淀君。父を母の実家に殺されたり、義父と母を自害に追い込んだ者の妻になったり、生涯三度の落城を経験した末、自害しました。悲劇的な人生を歩んでるんですね。でもなぜか、悲劇の女性という印象が...
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