「瀬川」は江戸時代の吉原を代表する遊女の名跡で特に四代目瀬川が有名です。
瀬川は美貌と才能に溢れ数々の逸話を持つ伝説の遊女です。
この記事では瀬川がなぜ伝説となったのかその魅力や生涯について詳しく解説します。
また、大河ドラマ「べらぼう」で描かれる五代目瀬川も解説、ドラマの見どころを紹介します。
- 瀬川が伝説となった理由
- 四代目瀬川の生涯と魅力
- 二代目・五代目の瀬川たち
- 大河ドラマ「べらぼう」における五代目瀬川
- ドラマ「べらぼう」の見どころ
伝説の花魁・瀬川について
瀬川とは?
「瀬川」は江戸時代の吉原を代表する遊女の名跡です。瀬川を名乗る遊女は享保から天明にかけて9人いました。
「瀬川」の名は江戸時代の吉原を彩った数々の遊女の中でも、とくに有名で輝かしい存在。瀬川は遊女の名というだけではなく、美貌と才色を兼ね備えた女性の代名詞として吉原を代表する存在となりました。
なぜ瀬川はこれほどまでに人々を魅了し伝説として語り継がれてきたのでしょうか。
四代目瀬川:伝説の遊女
瀬川の名をもつ遊女は吉原に9人いたとされますが、最も有名なのは四代目瀬川です。
四代目瀬川はその美貌と才覚は人々の心を捉え、伝説として語り継がれています。
下級農家の娘から華やかな世界へ
四代目瀬川は下総(千葉県)の農家に生まれました。華やかな吉原の世界とは縁遠い環境で育ったにも関わらず、その美貌は群を抜いており幼いころから周囲を驚かせていました。
その後、運命のいたずらから吉原へと身を置き、注目される存在になります。
艶やかな舞と美しい歌声
吉原では四代目瀬川は美しいだけでなく、様々な才能に優れた人物でした。三味線、舞踊、そして美しい歌声は多くの人々を魅了。
たちまち評判になりました。その華麗な舞姿は、まるで絵画から飛び出したかのように艶やかであり観る者をうっとりさせたと言われています。
文才の光る書と和歌
四代目瀬川はその美貌だけでなく文才にも優れていました。流麗な書道はまるで名家の娘が書いたかのような品格があり和歌を詠む才能も持ち合わせていました。
その教養の高さは当時の遊女たちの中でも際立っていて多くの文人墨客たちを驚かせました。
様々な才能
四代目瀬川の才能は芸道だけに留まりません。茶道、碁、双六など様々な教養を身につけ、その多才ぶりは周囲を驚かせました。
これらの教養は当時の遊女たちにとっても当たり前のことではなく、四代目瀬川の並外れた努力と探究心があったからこそ開花したと言えるでしょう。
雛鶴への手紙:深き友情と文才の光輝
四代目瀬川を語る上で欠かせないのが親友の遊女・雛鶴への手紙です。
雛鶴が吉原を去るときに送られたこの手紙は単なる送別の言葉にとどまらず、二人の深い友情と四代目瀬川の心の優しさを物語る貴重な記録となっています。
美しい言葉遣いと深い友情に溢れ、四代目瀬川の文才の高さを世に知らしめました。
高額な落籍
四代目瀬川の美貌と才覚は多くの人々を魅了。その人気は日に日に高まっていきました。
そのため四代目瀬川を身請けしたいという男性は後を絶ちません。
そして彼女は高額な身請け料で身売りされ世間を賑わせました。身請けしたのは御用達の町人 江市屋宗助で両国薬研堀辺へ囲われたといいます。しかし大名の家老が身請けに関わっていたとか様々な噂が流れました。
この高額な落籍と伝説は四代目瀬川の価値がいかに高かったかを物語るものでしょう。瀬川はその名声をさらに高めることとなりました。
伝説となった花魁
四代目瀬川はその美貌、才能、数々の逸話によって人々の心を捉え伝説として語り継がれる存在になりました。
出典:イラストAC
他の瀬川たち:名跡を継いだ女性たち
四代目瀬川が最も有名ですが瀬川という名跡は代々受け継がれ、多くの女性たちがその名声を高めました。
ここでは二代目と五代目瀬川を紹介します。
二代目瀬川:謎に包まれた存在
二代目瀬川については具体的な記録が少なく、その生涯は謎に包まれています。
しかし享保年間(1716~1736年)に吉原で夫の仇討ちをしたという伝説が残っており、その勇猛な姿が人々の心に深く印象付けられました。
四代目のような華やかなイメージとは異なり、二代目瀬川はむしろ実力派で男勝りの女性だったのかもしれません。
五代目瀬川:鳥山検校との縁
五代目瀬川は四代目瀬川の後に名跡を継ぎ、その美貌と芸事で多くの人々を魅了しました。
特に有名な盲目の高利貸し鳥山検校に身請けされたことは大きな話題となり、戯作ができるほどでした。鳥山検校は五代目瀬川に1400両もの大金を支払ったといいます。
鳥山検校との結婚は五代目瀬川にとって新たな人生の始まりでした。
ところが幸せは長くは続きません。鳥山検校は暴利を貪る悪徳高利貸しだったのです。
身請けから3年後。鳥山検校はそれまでの悪行がバレて逮捕され。全財産を没収。江戸から追放されてしまいました。
その後、五代目瀬川がどうなったのかは様々な噂があります。
・御家人・青木武蔵に嫁いだ。
などの説がありますが、どれが本当なのかわかっていません。
名声が高かった故の悲劇と言えるかもしれません。
瀬川が伝説となった理由:時を超えて語り継がれる存在
なぜ瀬川は伝説になったのでしょうか?その理由をいくつか紹介します。
1. 美貌と才能
瀬川は美貌だけでなく様々な才能を身に着けていました。三味線、舞踊、和歌、書道、茶道など、様々な才能を開花させ。その才色兼備ぶりは当時の社会でも特別な存在でした。
美貌と才気を兼ね備えた女性は人々の憧れの的となり、伝説となる素地を育みました。
2. 高額な落籍など、世間を賑わせた出来事
四代目瀬川の高額な落籍は当時の社会に大きな衝撃を与えました。その金額は当時の一般庶民にとっては想像もできない金額で世間を賑わせました。この出来事は四代目瀬川の価値がどれほど高かったかを物語るもので、「瀬川」の名声をさらに高めることとなりました。
3. 文学作品など様々な形で後世に語り継がれてきた
瀬川は多くの文学作品に登場。その美貌や才能、ドラマチックな生涯が後世に語り継がれてきました。小説や歌舞伎の題材となり人々の心を捉え、伝説として語り継がれる存在となりました。
4. 吉原という華やかな世界を象徴する存在
瀬川は吉原という幕府公認の華やかな世界の象徴になりました。吉原は江戸時代の文化や風俗を代表する場所でファションや流行の発信元にもなっています。瀬川はその中でも最も輝かしい存在の一人でした。
吉原という華やかな舞台で活躍した瀬川は人々の心に深く印象を与え、伝説として語り継がれる存在となったのです。
瀬川の名が伝説となったのは、美しいだけでなく数々のドラマチックな出来事や周囲への影響力があったからなのですね。
大河ドラマ「べらぼう」の花の井(五代目瀬川)
五代目瀬川を演じるのは小芝風花さん
大河ドラマ「べらぼう」では小芝風花さんが演じる「花の井」はのちに伝説の遊女・五代目瀬川を襲名します。
ドラマでは花の井の波乱の人生と、五代目瀬川としての華麗な活躍と苦悩が描かれる予定だといいます。
小芝風花さんはフィギュアスケートの経験もあるそうで、体幹はしっかりしているのだそう。高下駄を履いての花魁歩きは体幹がしっかりしていないと難しいそうですが、ビシッと決まった花魁の姿にも注目です。
花の井(はなのい)として登場
ドラマ第1話ではすでに吉原の遊女になっている花の井は蔦重こと蔦屋重三郎とは幼馴染み。格安な商売敵の登場で吉原の経営も悪化。ブラックな待遇で死亡する女郎たちを救うため、蔦重たちと吉原の再興に尽くします。
ドラマでの花の井は色っぽい女性というより男勝りなところもある女性。どことなく二代目瀬川のイメージも入ってるかもしれません。
平賀源内との出会い
吉原では「瀬川」を求めてきてやってきた銭内(平賀源内)相手に男装して登場。
花の井が扮しているのは花魁の瀬川ではなく、近頃亡くなった歌舞伎の女形の瀬川菊之丞でした。
男色家だった平賀源内が懐かしがっているのは花魁ではなく女形の瀬川だと機転をきかせたのでした。そうして平賀源内の心を掴み、蔦重に協力してもらうことに成功します。
五代目瀬川を襲名
花の井が五代目瀬川を襲名することはすでに公開されています。
どのような経緯で襲名するのか興味深いですね。どうやら蔦重が作る「吉原細見」の発売時期と同じ頃のようです。
キャストを見ると鳥山検校も登場予定ですから。史実通り鳥山検校が五代目瀬川を身請けするのでしょう。どうやら千両を超える大金が動くようです。
ドラマでは花の井は蔦重が好きですが、立場上どうしても一緒になることはできません。このあたりの別れも切ない場面になりそうです。
ドラマ「べらぼう」の五代目瀬川に期待
大河ドラマ「べらぼう」の花の井は男勝りで情熱的な遊女。蔦重との絆、吉原の再興、そして五代目瀬川としての活躍と苦悩が描かれるようです。
鳥山検校との出会いも大きな見どころ。ドラマの五代目瀬川にどんな人生が待っているのでしょうか?
史実を基にしながらも、ドラマオリジナルの要素が加わり、新たな五代目瀬川像が誕生するかもしれませんね。小芝風花さんの熱演にも期待です。
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