田沼意知の生涯:暗殺事件が変えた田沼時代

 

田沼 意知(たぬま おきとも)は江戸時代中期に幕府の政治を主導した田沼意次の嫡男として生まれました。

父の力を背景に異例の出世を遂げ、若年寄という幕府の要職に就きました。しかし、突如暗殺されその生涯を閉じました。

この記事では田沼意知の生涯を父・意次の活躍や当時の社会情勢を交えながら解説します。

彼の生い立ち、異例の出世、田沼時代における役割、そして突然の死が社会に与えた影響を紹介します。

 

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田沼 意知(たぬま おきとも)の生涯

どんな人?

名前:田沼 意知(たぬま おきとも)
生年:寛延2年(1749年)
没年:天明4年4月2日(1784年5月20日)
 

家族

父・田沼意次、
母・黒沢定紀の娘

正室:松平康福の娘

子:意明、意壱、意信、稲葉正武正室

 

田沼意知の生い立ち

 

田沼意知:父の片腕として暗殺された悲劇の若年寄

生い立ちと異例の出世

父は田沼意次

9代将軍・徳川家重の時代。
田沼意知は1749年(寛延2年)に、田沼意次の嫡男として生まれました。

意知が生まれた頃の意次は1500石の旗本で幕政にはあまり関わっていませんが、9代将軍・徳川家重にその才能を見出され徐々に幕府内で頭角を現し、田沼家は大名へと出世します。

意知はそんな父の出世による恵まれた環境の中で育ちました。幼い頃から学問に励み、文武両道に秀でていたと言われています。

宝暦11年(1761年)。将軍・徳川家重が死去。10代将軍・家治が就任。

父・田沼意次は側用人老中になりました。

父の政治活動を間近で見て育ったことが、後に彼自身も政治家として活躍する下地になったと考えられます。

 

異例の大出世

19歳で従五位下・大和守になり。1781年(天明元年)には奏者番。そして1783年(天明3年)には若年寄という幕府の要職に就きました。

若年寄は老中に次ぐ幕府の要職です。若年寄は譜代大名がなるものですが。まだ家督を継いでいない若者が任命されるのは異例で周囲を驚かせました。老中の父・意次が老中と奥詰めを行っているように、意知も若年寄奥詰めを行いました。

当時の大奥は幕府の人事や政策にも影響を与えていました。大奥と良好な関係を築くことは田沼意次の政治をやりやすくするためにも必要でした。

この抜擢の背景には父・意次の強い意向があったと考えられます。意次は自分の築いた地位を息子に受け継がせたいと思ったのです。

これで田沼家は親子で幕府の重役を勤めることになりました。

 

田沼時代の中心人物として

若年寄となった意知は、父の田沼意次が推し進める政治を支える役割を担いました。当時の幕府は財政難や社会不安など様々な問題を抱えていました。

意次は幕府が経済を統制することで幕府の収益を上げようとし、民間の意見を取り入れ民間の人材や資本を活用し、幕府の立て直しを図りました。

意知は父の政策を理解し実行する能力に長けていたと言われています。父の片腕として幕府の政治を円滑に進めるために尽力しました。

世間の田沼意次への反発

しかし田沼意次の進める政策では役人と一部の商人との癒着が進み、以前にもまして賄賂が横行。幕府や商人の利益を優先したために不利益を受ける人たちからは不評でした。

足軽だった田沼家の急成長や。旧来の慣習を破る田沼の手法や権力集中には御三家・親藩を中心に反発する人々もいました。

当時天明の飢饉が起きて各地域では大きな被害が出ていました。幕府の飢饉で苦しむ地域への対応は遅れがち。

大名救済のために商人や民から強制的に金を借り上げたり、高騰する米価対策のため地方の米を江戸に輸送したりした結果。飢饉に苦しむ人々の不満はさらに高まりました。

 

田沼意知の最後

佐野政言に切りつけられる

田沼意知は親子で幕府の重臣になったため、父と別居して下屋敷に移りました。

その直後。1784年(天明4年)。江戸城内で田沼意知が佐野政言に斬りつけられる事件が起こりました。

意知は治療が遅れたこともあり、その傷がもとで亡くなってしまいます。享年36。

世間と田沼家への影響

佐野政言は「乱心」として処理され切腹を命じられ死亡。佐藤家は断絶しました。

この事件は当時の社会に大きな衝撃を与えました。

それまで江戸では米価が高止まりしていましたが、佐野政言の切腹直後に投機筋の売りが集中して米価が下落。

オランダ商館長イサーク・ティチングは田沼意知の死を「日本の将来を考えていた唯一の人物の死」と嘆き、日本の開国が遅れることを懸念しました。

しかし日頃から田沼への不満が溜まっていた人々は佐野政言を「世直し大明神」と称えられるようになり。田沼親子への批判が噴出します。

幕府内の反田沼派も勢いづき、やがて徳川家治の死後に田沼意次の失脚へと繋がるのでした。

まとめ

田沼意知は父の田沼意次と共に「田沼時代」を築き上げた人物の一人です。

若年寄として幕政を支えましたが、不慮の死によってその生涯を閉じました。彼の死は田沼家の没落、そして幕府の政治情勢にも大きな影響を与えたと言えるでしょう。

 

ドラマの田沼意知

陽炎の辻 完結編 2017年 NHK、演:滝藤賢一
大奥 2024年、フジテレビ 演:佐々木誠
べらぼう 2025年、NHK大河ドラマ 演:宮沢氷魚

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