朝ドラ『ブラッサム』で工藤阿須加さんが演じる島村辰彦は、葉野珠が教師として働く学校に赴任してくる男性教師です。珠のモデルになった宇野千代にも、17歳で小学校の代用教員をしていたころ、同じ学校に赴任してきた男性教師に恋をした経験がありました。
宇野千代は後年、自伝『生きて行く私』で、この男性を「佐伯正夫」と書いています。千代は佐伯に夢中になり、生徒に恋文を届けさせるほど積極的に思いを伝えました。しかし二人の関係は学校だけでなく町にも知られ、千代は教師を辞めることになります。
その後、千代は佐伯から離れるため京城へ渡りますが、それでも気持ちは消えませんでした。最後には日本へ戻り、佐伯の赴任先まで会いに行っています。
宇野千代の若いころには、いったい何があったのでしょうか。
島村辰彦のモデルは宇野千代が恋した男性教師?
島村辰彦には、宇野千代が教師時代に恋をした男性教師との経験が取り入れられていると考えられます。ドラマと宇野千代の史実には、いくつもの共通点があります。
宇野千代の初恋の名は佐伯正夫?
宇野千代は1914年に17歳で川下村尋常小学校の代用教員になりました。その翌年、同じ学校へ新しい男性教師が赴任してきます。
宇野千代は自伝『生きて行く私』で、この男性を「佐伯正夫」と書いています。
ただし「佐伯正夫」が本当の名前だったかどうかまでは確認できません。様々な公式資料では「男性教師」「新任の教師」などと書かれ名前は出てきません。『生きて行く私』でも一部本当の名前を伏せているところがあるので「佐伯正夫」も仮の名前の可能性もあります。
この記事では宇野千代本人の回想に従って「佐伯正夫」と書きますのでご了承ください。
島村辰彦との共通点
『ブラッサム』の島村辰彦も葉野珠と同じ学校で働く男性教師です。師範学校を卒業しているという設定も宇野千代が語った初恋相手と共通しています。
珠が若い教師時代に出会う男性で、初恋の相手だったというのも同じです。なので島村辰彦には宇野千代の初恋相手をモデルにしていると良さそうですね。
宇野千代の若い頃 17歳で教師になったころ
宇野千代の初恋は教師になったばかりの17~18歳ごろの出来事でした。この時期には恋愛だけでなく、化粧を覚えたことも千代にとって大きな変化でした。
17歳で川下村尋常小学校の代用教員に
宇野千代は1914年に岩国高等女学校を卒業すると川下村尋常小学校で代用教員として働き始めました。
当時の小学校では師範学校を卒業した教師だけでは人数が足りず、代用教員も教壇に立っていました。千代は高等女学校を卒業したばかりの17歳です。
代用教員は授業そのものは正教員と同じように担当することがあるものの、給与は低く身分保障も正教員より弱い立場にいます。つまり正教員よりも学校の都合で辞めさせやすかった面もあります。
一方、後に千代が恋をする佐伯は師範学校を卒業した正式な教師=正教員です。同じ学校で働く先生でも、17歳の代用教員だった千代と正教員だった佐伯では教師としての立場に違いがありました。
これが後の処遇の差に響いてきます。
色黒を気にして17歳で化粧を始める
教師になったころの千代には、もう一つ大きな変化がありました。千代は若いころから自分の色黒を気にしていました。後年の『私のお化粧人生史』でも、娘時代に色黒で悩んでいたことを書いています。
17歳の夏、千代は継母リュウが使っていた白粉を自分の顔につけてみました。化粧した姿が気に入り、その後は朝早く起きて化粧をしてから学校へ行くようになります。周囲からも容姿を褒められ、千代は自分に自信を持つようになったようです。
後年の宇野千代は、化粧や肌の手入れに熱心な女性としても知られました。オリーブオイルを使った美容法も有名です。17歳のころに白粉を使い始めた経験は、その後も美容に強い関心を持ち続けるきっかけになりました。
当時の女教師には質素さや慎みを求める考えもありました。白粉そのものは珍しいものではありませんが、若い女性教師が毎日化粧して学校へ通う姿を、周囲の誰もが歓迎していたとは限りません。
色白の新任教師にひと目ぼれ
千代が化粧を覚えた翌年、学校へ新しい男性教師がやって来ました。『生きて行く私』に登場する佐伯正夫です。
千代は佐伯を色が白く、ひげをそった跡が青く見える優しそうな男性だったと振り返っています。そして、その姿を見た千代は佐伯にひかれました。
後に「恋多き女」として知られる宇野千代ですが、この初恋では男性から熱心に求められたわけではありません。千代の方から佐伯を好きになり、自分から近づいていきました。
生徒を使って男性教師へ恋文
佐伯への気持ちが強くなった千代は自分から何度も思いを伝えるようになります。しかも、その方法はかなり大胆でした。
授業中に書いた手紙を生徒に届けさせる
千代は授業中の生徒に習字などをさせている間に、紙切れへ鉛筆で佐伯宛ての手紙を書いていました。そして、その手紙を生徒に持たせて佐伯のところへ届けさせます。
後年の同窓会では、当時の教え子が、自分は千代先生の「郵便屋」をしていたと語ったといいます。千代が生徒に恋文を届けさせていたという話は本人の回想だけに残る話でもないようです。
佐伯からのはっきりした愛情表現はなし
千代が何度も手紙を送っても、佐伯からはっきりした返事はなかったようです。
それでも千代は佐伯の住まいを訪ね、食べ物や座布団を届けるなどして親しくなっていきました。千代の方がかなり積極的だったことが分かります。
現在なら職場で知り合った男女が恋愛すること自体は珍しくありません。しかし当時は男女の関係にも世間の目が厳しかった時代。大正初期の地方の小学校では、若い男女の教師が付き合うことには抵抗が強かったのです。
しかも千代は生徒を何度も手紙の使いにしています。これでバレないほうが不思議です。二人の関係は、しだいに周囲にも知られるようになりました。
二人の恋が町中の噂になり千代は免職
千代と佐伯の関係は学校の中だけでは収まりませんでした。やがて町の人たちにも知られるようになり、千代の教師生活にも影響します。
学校だけでなく町でも評判に
当時の教師は地域の人々からも注目される立場でした。特に小さな町では若い女教師と新任の男性教師が親しくしていれば話題になります。
そこへ生徒が恋文を何度も運んでいたのですから、二人の関係を秘密にしておくのは難しかったのでしょう。宇野千代生家の紹介でも二人の恋は町中の評判になったとされています。
校長から告げられた「郡役所からの命令」
ある日、千代は校長室へ呼ばれました。そこで告げられたのは、今学期いっぱいで学校を辞めてもらうという話でした。
しかも校長は、自分の判断ではなく「郡役所からの命令」だと千代に説明しています。
学校の中だけで済まず、郡の教育行政まで話が届いていたことからも、二人の関係が地元でかなり知られていたことがうかがえます。千代は諭旨免職となり、川下村尋常小学校を去ることになりました。
当時の教師には品行も求められていました。千代の場合、生徒を恋文の使いにしていたことや、二人の関係が町中の話題になっていたことも、学校側から問題視されたのでしょう。
17歳で始まった教師生活は初恋をきっかけに終わることになりました。
佐伯から離れるため京城へ
学校を辞めた千代は佐伯にこれ以上迷惑をかけないよう、遠くへ行こうと考えました。そこで選んだのが京城でした。
大池房代を頼って朝鮮へ渡る
千代が頼ったのは大池房代です。大池は千代が女学生だったころ作文を教えてくれた女性教師で、このころ京城の女学校に勤めていました。
京城は現在の韓国・ソウルです。千代は岩国を離れて海を渡り、大池を頼って京城へ向かいました。そして大池から紹介された仕事をしながら暮らします。
離れても佐伯への手紙を送り続ける
佐伯から遠く離れて暮らしても、千代の気持ちは消えませんでした。京城から何度も佐伯へ手紙を書き続けます。
佐伯から返事が来ることもありましたが、それほど多くはありませんでした。それでも千代は手紙を送り続けました。
やがて佐伯から、千代が予想していなかった内容の手紙が届きます。
佐伯も山奥の学校へ異動
佐伯も川下村の学校を離れて山奥の村で教師を務めていました。『生きて行く私』では、佐伯は手紙の中で、自分も「罰を受けた」という意味のことを書いています。
さらに、もう手紙を送らないでほしいと千代に頼みました。もう一度同じことが起きれば、自分は教師として破滅する。佐伯はそこまで心配していたようです。
学校を辞めることになったのは千代でしたが、佐伯にも何もなかったわけではありません。少なくとも佐伯本人は自分の転任を今回の騒ぎに対する「罰」だと受け止めていました。
絶縁を受け入れられず日本へ
佐伯から手紙を出さないでほしいと言われても、千代は納得できませんでした。そして京城から日本へ戻ります。
母の病気を理由に京城を離れる
千代は京城の勤め先に母が病気だと告げて日本へ帰ることにしました。
しかし、帰国の本当の目的は母に会うことだけではありませんでした。千代は佐伯に会おうとしていたのです。
下関で買った出刃包丁
帰国の途中で千代は下関の金物屋へ立ち寄りました。そこで買ったのが出刃包丁でした。
千代は母への土産として買ったつもりでした。しかし、そのまま実家へは帰りません。出刃包丁を持ったまま、佐伯が転任した山奥の村へ向かいました。
「手紙を読まなかったのか」と拒絶される
千代は学校の関係者に佐伯の居場所を尋ね、佐伯が住んでいる場所まで訪ねて行きました。
ところが佐伯は千代が来ても喜びませんでした。千代が学校の関係者に自分の居場所を聞いたと知ると、「手紙を読まなかったのか」と厳しい態度を見せます。
一度、千代との関係が問題になって学校を移っています。また二人が会っていることを学校や村の人たちに知られれば、今度こそ教師として働けなくなるかもしれません。佐伯は千代との関係が再び知られることを強く警戒していたようです。
突き飛ばされた千代から包丁が落ちる
佐伯は千代を拒み、突き飛ばしました。そのはずみに千代が持っていた出刃包丁が落ちました。
それを見た佐伯は、千代が自分を脅すために包丁を持ってきたと思ったようです。佐伯はそんなものでは脅されないという態度を見せて包丁を投げ捨てました。そして千代を拒んで雨戸を閉めてしまいます。
かなり強烈な内容ですが、これは後年の宇野千代が『生きて行く私』で語っている出来事です。
出刃包丁は本当に母への土産だったのか
後に千代自身も、この出刃包丁について考え直しています。
下関で買ったときには、母への土産だと思っていました。しかし後になって本当に母への土産として買っただけだったのだろうか、と自分自身に問いかけています。
佐伯に会う前から、心のどこかには彼を脅したい気持ちがあったのではないか。若いころの自分でも気づいていなかった感情を後年になって振り返っているのです。
最初の失恋が宇野千代に残したもの
佐伯との初恋は、若いころの一時的な恋では終わりませんでした。宇野千代自身が、後の恋愛のしかたや人生と結びつけて振り返っています。
雨戸を閉められると、それ以上は追わなかった
それまでの千代はかなり積極的でした。自分から恋文を書き、生徒に届けさせ、佐伯の住まいへも行きました。京城へ移ってからも手紙を書き続け、絶縁を求められても日本へ戻り、山奥の赴任先まで会いに行っています。
それほど佐伯を追いかけた千代が完全に拒まれると、それ以上は追いませんでした。
宇野千代は後に、この最初の失恋をその後の自分の恋愛のしかたと結びつけて振り返っています。
「恋多き女」と呼ばれる前の原点
後に何度も恋愛や結婚を経験して「恋多き女」として知られる宇野千代ですが、相手の心が自分から離れたと分かれば、その先は追い続けません。
その考え方には17~18歳のころに経験した最初の失恋も関係していたようです。
宇野千代の恋愛というと、後の結婚や有名人との関係が注目されがちです。でも、そのずっと前に経験したこの初恋も千代の恋愛観を考えるうえで大切な出来事でした。
教師を辞めたことも人生の転機に
佐伯との恋は千代の恋愛観だけでなく、その後の人生にも関わりました。
学校を辞めたことで千代は岩国を離れて京城へ渡ります。それまで地元で暮らしていた17歳の女性が、海を渡り、知らない土地で働くことになりました。
その後の宇野千代は京都や東京など各地で暮らし、やがて作家として作品を発表するようになります。川下村尋常小学校での初恋は教師を辞めて岩国の外へ出て生きていくきっかけの一つにもなりました。
ブラッサムでは島村辰彦との恋をどう描く?
宇野千代の史実では若い教師への初恋から、恋文、免職、京城への旅、男性教師の転任、そして山奥での別れまで、多くの出来事が続きました。
ドラマではどこまで史実を使う?
『ブラッサム』では、これらをそのまま再現することはないでしょう。葉野珠と島村辰彦という人物に変えたうえで、ドラマとして別の展開にすることもカンラ得られます。
珠も生徒に恋文を届けさせるのでしょうか。島村も別の学校へ転任するのでしょうか。珠も教師を辞めて故郷を離れることになるのでしょうか。そして『生きて行く私』に登場する出刃包丁の一件まで再現されるのか?
宇野千代の若いころを知っていると、珠と島村辰彦の場面がどこまで史実を参考にしているのか、ドラマを見る楽しみも増えそうです。
まとめ
島村辰彦には、宇野千代が17歳ごろに恋をした男性教師との経験が取り入れられていると考えられます。宇野千代は『生きて行く私』で、この男性を佐伯正夫と書いています。
千代は男性教師に恋をし、生徒に何度も恋文を届けさせるほど夢中になりました。しかし二人の関係は町中に知られ、千代は郡役所の命令で学校を辞めることになります。その後は京城へ渡りますが、恋を忘れられず、最後には日本へ戻って男性教師の転任先まで会いに行きました。
そこで完全に拒まれた経験は、後の千代の恋愛のしかたにも影響したようです。そして学校を辞めて岩国を離れたことは、後に各地で暮らし、作家として生きていく宇野千代の人生にもつながっていきました。
『ブラッサム』がこの初恋をどこまでドラマで再現するのか?島村辰彦と珠の関係にも注目ですね。

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