朝ドラ『ブラッサム』で国仲涼子さんが演じる葉野リョウは、主人公・葉野珠を育てた母です。珠を産んだのは前妻ですが、幼いころから珠を育ててきたのはリョウでした。
モデルになったのは、宇野千代の継母・宇野リュウです。父の後妻として幼い千代を育て、その後に弟妹を産んだところまで葉野家と共通しています。
しかも『ブラッサム』第1週に登場する、カナリアを逃がした母が実家へ帰り、珠がそのあとを追う話にも宇野家で実際にあった出来事が使われています。
では、ドラマの葉野リョウと宇野千代を育てたリュウには、どこまで共通点があるのでしょうか。
『ブラッサム』の葉野リョウは珠を育てた継母
葉野リョウは葉野清治の妻で、主人公・葉野珠の継母です。
珠は幼いころに実母を亡くし、その後、清治と結婚したリョウに育てられました。リョウはのちに守、俊子、英男を産みますが、珠も自分の子供たちと変わらない娘として育てています。
珠の方もリョウを母として慕っています。ただ、自分だけはリョウが産んだ子ではありません。そのことを知っているだけに、「どうしてここまで自分を大切にしてくれるのだろう」と考えてしまうことがあります。
珠にとっては母なのに、血縁を意識すると急に距離を感じてしまう。このあたりが『ブラッサム』序盤で描かれる母娘の話になっています。
カナリアを逃がしたリョウが実家へ帰る
第1週では、葉野家で飼っているカナリアをきっかけに、リョウが家を出てしまいます。
清治が大切にしていたカナリアをリョウが逃がしてしまい、清治は妻を叱りました。するとリョウは葉野家を出て、そのまま実家へ帰ってしまいます。
珠は逃げたカナリアを探しますが、それ以上に気になるのがリョウのことです。結局、母を追ってリョウの実家へ向かいました。
普段の珠は「血のつながらない自分を、本当に娘と思ってくれているのだろうか」と気にしています。でも母がいなくなると、珠の方から追いかけていく。自分にとってリョウがどんな存在なのか、この場面では珠自身の行動が答えになっています。
そして、この話には元になった出来事があります。宇野千代と継母リュウの間でも、カナリアをきっかけにほとんど同じことが起きていました。
葉野リョウのモデルは宇野千代の継母・宇野リュウ
ここからは宇野家で実際にあった話です。
宇野千代は1897年(明治30年)11月28日、山口県玖珂郡横山村、現在の岩国市に生まれました。父は宇野俊次、実母は土井トモです。
ところが1899年(明治32年)、トモは肺結核で亡くなります。千代はまだ1歳半ほどでした。
翌1900年(明治33年)、父の俊次は佐伯リュウと再婚します。このとき俊次は45歳、リュウは17歳でした。
17歳で宇野家に入ったリュウは、まだ幼い千代を育てることになります。その後、リュウは薫、鴻、勝子、光雄、文雄の4男1女を産み、千代には5人の異母弟妹ができました。
17歳でいきなり幼児の母になるわけですから、今の感覚で考えるとずいぶん若いですよね。それでも千代にとってリュウは、幼いころからずっとそばにいた「お母さん」になっていきます。
宇野千代は14歳までリュウを実母だと思っていた
千代は物心がついたころからリュウに育てられています。そのため、自分を産んだ女性が別にいるとは知りませんでした。
実母トモについて知らされたのは1911年(明治44年)。千代が14歳のころです。伯母から話を聞き、そこで初めて自分とリュウには血のつながりがないと知りました。
14歳まで気が付かなかったというのもすごい話です。
『ブラッサム』では珠が幼いころからリョウが継母だと知っています。宇野千代の場合は、少女になるまでリュウを実母だと思っていました。このあたりはドラマ用に設定が変えられています。
リュウは実の子より千代を先にしていた
リュウは自分でも5人の子供を産みました。それでも先妻の娘だった千代を後回しにはしていません。
宇野千代は後年、家においしい食べ物があれば自分が先で、風呂にも最初に入れてもらっていたと振り返っています。
『生きて行く私』には、おはぎにまつわる話もあります。
千代が外出しているとき、家でおはぎをもらっても、リュウは弟妹たちに先に食べさせませんでした。千代が帰ってくるまで待たせ、長女もそろったところで皆に食べさせています。
こういう日常がずっと続いていたのなら、千代が14歳まで血縁を疑わなかったのも不思議ではありません。
「継母だけれど優しかった」と説明するより、この話の方がリュウが千代をどう扱っていたのかがよく分かります。
千代も5人の弟妹をかわいがった
一方の千代も、リュウが産んだ弟妹たちをかわいがっていました。
まだ自分も子供なのに、弟妹を一人ずつ背負って世話をしています。千代は後年、そのころの自分を「小さなお母さん」のようだったと振り返りました。
大人になったあとも弟妹との付き合いは続き、作家の広津和郎から弟妹の面倒をよく見ることを感心されたこともあります。
リュウが千代を自分の娘として育てたから、千代の方もリュウの子供たちを自然に自分の弟妹として受け入れたのでしょう。
少なくとも宇野家では、「先妻の娘」と「後妻の子供」という関係を強く意識して暮らしていたわけではなかったようです。
カナリアを逃がしてリュウが実家へ帰った
そして『ブラッサム』第1週につながるのが、カナリアの話です。
父・宇野俊次はカナリアを飼うのが好きでした。ところが、あるときリュウが俊次の大切にしていたカナリアを逃がしてしまいます。
俊次から厳しく叱られたリュウは家を出て、実家へ帰ってしまいました。
すると幼い千代があとを追ってきます。
リュウからすれば、自分が産んだ子ではありません。それでも千代は自分を母と思い、家から出ていったリュウを追いかけてきたわけです。
リュウは後年、あのとき千代が追って来なかったら、宇野家には帰らなかったかもしれないと話していました。
これを知ると、『ブラッサム』第1週の話がかなり史実に沿って作られていることが分かります。カナリアを逃がしたところだけ借りたのではなく、父に叱られた母が実家へ帰り、娘が追いかけるところまで同じです。
珠とリョウの関係を見せるために作った架空の出来事かと思ったら、元になった親子に本当にあった話だったんですね。
父・俊次が亡くなった後は母娘で浪花節を聴いた
父の宇野俊次は、妻や子供に対してかなり厳しい人物でした。
千代は後年、父との会話は命令と返事ばかりだったと振り返っています。雪の日でも裸足で学校へ行かせることがあったというのですから、現在とはかなり違う子育てです。
1913年(大正2年)、俊次は57歳で亡くなります。千代は16歳、リュウは30歳でした。
その後、リュウは千代を連れて浪花節を聴きに行くようになります。俊次がいたころには自由に外出する機会も少なかったのでしょう。
千代は、このとき初めて聞いた浪花節が芸術に興味を持つきっかけの一つになったと振り返っています。
後に小説家になる宇野千代が、十代のころ母と一緒に出かけて聞いたものから刺激を受けていた。こういう話を知ると、リュウは千代を育てた人というだけでなく、その後の千代の人生にも少なからず関わった人物だったことが分かります。
80歳を前にした宇野千代もリュウを「お母」と呼んだ
リュウは1951年(昭和26年)に亡くなりました。千代が54歳のころです。
それから26年後の1977年、岩国で宇野千代後援会が発足しました。80歳を目前にしていた千代は、故郷の人たちが自分のために集まってくれたことを喜び、亡くなったリュウにこう語りかけています。
「お母、よう見ておみい」
千代がリュウとの血縁がないと知ったのは14歳のときです。それから60年以上たっても、呼び方は「お母」のままでした。
幼いころから自分を育ててくれたリュウは、千代にとって最後まで母だったのでしょう。
葉野リョウと宇野リュウ
『ブラッサム』の葉野リョウには、宇野千代の継母・宇野リュウの実話がかなり取り入れられています。
リュウは17歳で宇野家に入り、まだ幼かった千代を育てました。その後に5人の子供を産みますが、千代を後回しにはせず、長女として育てています。
千代もリュウを母として慕い、14歳になるまで実母だと思っていました。血縁がないと知ってからも、その関係は変わりませんでした。
とくにカナリアの話は『ブラッサム』との共通点が多く、カナリアを逃がした母が父に叱られて実家へ帰り、幼い娘がそのあとを追うところまで宇野家の実話と一致しています。
ドラマでは珠が最初からリョウとの血縁がないことを知っているなど設定の変更もあります。それでも、珠が「どうして自分をここまで大切にしてくれるのだろう」と考える母娘の話には、宇野千代とリュウの関係がかなり色濃く使われているようです。

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