フミヤ

織田家

帰蝶(濃姫):兄嫁に「自害なすべし」信長の正室はきつい女だった

濃姫は織田信長の正室です。帰蝶ともいいます。斎藤道三の娘で、信長と結婚したので有名な人物です。ところが意外と史料が少なく詳しいことはよくわかっていません。でも、様々な文献に見られる「信長本妻」は気の強い人だったことがわかります。さらに本能寺...
明智家

明智光秀の生涯を年表でわかりやすく解説

明智光秀 の人生を年表にしました。生年などは通説(没年55歳)に従っています。明智光秀のプロフィール名 前:明智光秀(あけち みつひで)幼 名:彦太郎通 称:十兵衛別 名:惟任日向守生 年:不明没 年:天正10年6月13日(1582年7月2...
明智家

明智光秀の出身地と生年

明智光綱は有名な戦国武将ですが、その前半生は謎に包まれています。出身地や生年について様々な説があるのです。この記事では明智光秀の出身一族、出身地、生年について様々な説を紹介します。光秀は土岐氏支流 明智氏の生まれ通説では明智光秀は土岐氏から...
明智家

藤田伝吾(行政)明智五宿老の一人は山崎の戦いで果てた忠臣

藤田 行政は明智光秀に仕えた重臣です。通称は伝吾、伝五、伝五郎。明智五宿老の一人と言われます。明智光秀が本能寺の変をおこしたときに、明智光満、斎藤利三とともに最初に謀反の決意を打ち明けられた人物の一人といわれます。藤田行政(伝吾)について紹...
明智家

明智光安: 光秀を後見した叔父は明智城とともに運命を共にした

明智光安は明智光満の叔父(父の弟)です。明智城を守っていましたが、斎藤義龍の軍に攻められて自害。そのとき光秀を逃したと言われます。明智光安はとはどんな人だったのでしょうか。明智光安とは名 前:明智光安(あけち みつやす)通称・官名:兵庫頭生...
明智家

妻木煕子:明智光秀との結婚秘話と最期の別れ

妻木煕子(ひろこ)は明智光秀の正室で細川ガラシャの母です。お牧の方、伏屋姫ともいわれます。光秀にとても愛された仲のよい夫婦でした。結婚話や亡くなる前のいくつかの逸話が伝わっています。妻木煕子とはどんな人だったのか紹介します。妻木煕子とは名 ...
7. 江戸時代

和宮親子内親王・幕末に将軍御台所になった悲劇の皇女

皇女和宮は幕末に徳川家茂の正室になった女性。正式には和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)。幕末に皇族から将軍家に嫁いだ皇女として知られています。将軍徳川家茂との仲は良かったようですが、大奥内では和宮派と天璋院派の女中の対立がおこり...
7. 江戸時代

篤姫(於一)が将軍御台所になった本当の理由・紆余曲折の輿入れ問題

天璋院篤姫は13代将軍・徳川家定の御台所(正室)になりました。外様大名の島津家の分家の姫が将軍御台所になるなんて不思議に思われるかもしれません。一般には、一橋慶喜を次の将軍にするため大奥の工作のために島津斉彬が送り込んだとされることが多いで...
7. 江戸時代

本寿院 徳川家定の生母はどんな人?大奥で波乱の生涯を送った女性

本寿院 徳川家定の生母はどんな人?大奥で絶大な権力を持った生涯と、その後の穏やかな余生を解説。幕末の歴史と女性の生き様を知る。
井伊家

井伊万千代・徳川家康に仕えた若き日の井伊直政の活躍

井伊万千代は井伊直政が元服するまで名乗っていた名前です。14歳で徳川家康の小姓となった万千代は、家康のそばで仕え手柄をたて続けます。わずか6年の間に300石から4万石に大出世。井伊の家臣だは徳川家康を支える有力な家臣団に成長しました。井伊万...
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