フミヤ

明智家

明智光安: 光秀を後見した叔父は明智城とともに運命を共にした

明智光安は明智光満の叔父(父の弟)です。明智城を守っていましたが、斎藤義龍の軍に攻められて自害。そのとき光秀を逃したと言われます。明智光安はとはどんな人だったのでしょうか。明智光安とは名 前:明智光安(あけち みつやす)通称・官名:兵庫頭生...
明智家

妻木煕子:明智光秀との結婚秘話と最期の別れ

妻木煕子(ひろこ)は明智光秀の正室で細川ガラシャの母です。お牧の方、伏屋姫ともいわれます。光秀にとても愛された仲のよい夫婦でした。結婚話や亡くなる前のいくつかの逸話が伝わっています。妻木煕子とはどんな人だったのか紹介します。妻木煕子とは名 ...
歴史の雑学

大和と書いて「やまと」と読む理由

奈良は江戸時代以前は大和国といいました。また「大和」は古い日本国の呼び方にもなってます。これは大和地方にできた勢力が日本を代表するようになったからです。でもどうして「大和」と書いて「やまと」と呼ぶのでしょか?どう考えてもやまととは発音できま...
歴史の雑学

桃太郎と温羅伝説の真相とは?歴史と観光の違い

岡山の桃太郎伝説のもととされる温羅(うら)の物語は、観光PRや現代の価値観によって大きく変化しています。吉備津神社の鳴釜神事の由来や古い伝承をもとに、吉備津彦と温羅の本来の関係、鬼ノ城や百済との関わりなどを整理しながら、桃太郎伝説の背景をわかりやすく解説します。
7. 江戸時代

和宮親子内親王・幕末に将軍御台所になった悲劇の皇女

皇女和宮は幕末に徳川家茂の正室になった女性。正式には和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)。幕末に皇族から将軍家に嫁いだ皇女として知られています。将軍徳川家茂との仲は良かったようですが、大奥内では和宮派と天璋院派の女中の対立がおこり...
7. 江戸時代

篤姫(於一)が将軍御台所になった本当の理由・紆余曲折の輿入れ問題

天璋院篤姫は13代将軍・徳川家定の御台所(正室)になりました。外様大名の島津家の分家の姫が将軍御台所になるなんて不思議に思われるかもしれません。一般には、一橋慶喜を次の将軍にするため大奥の工作のために島津斉彬が送り込んだとされることが多いで...
7. 江戸時代

本寿院 徳川家定の生母はどんな人?大奥で波乱の生涯を送った女性

本寿院 徳川家定の生母はどんな人?大奥で絶大な権力を持った生涯と、その後の穏やかな余生を解説。幕末の歴史と女性の生き様を知る。
7. 江戸時代

ジョン・万次郎(中濱万次郎)とはどのような人?

ジョン・万次郎(本名:中浜万次郎)は幕末にアメリカに渡り西洋の知識を身に着けて戻ってきた人物。万次郎自身は貧しい漁師でしたが、アメリカに渡り熱心に勉強して英語や航海術、造船技術を学びました。日本に戻ってきたあとは、通訳や航海、造船技術を教え...
井伊家

井伊万千代・徳川家康に仕えた若き日の井伊直政の活躍

井伊万千代は井伊直政が元服するまで名乗っていた名前です。14歳で徳川家康の小姓となった万千代は、家康のそばで仕え手柄をたて続けます。わずか6年の間に300石から4万石に大出世。井伊の家臣だは徳川家康を支える有力な家臣団に成長しました。井伊万...
井伊家

井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)とは何をしたのか

徳川家康が遠江に侵攻した時、3人の部将が道案内したといいます。その三人とは、菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用です。まとめて井伊谷三人衆とよばれます。井伊谷三人衆は井伊直虎が注目される以前から知られれた存在でした。一般には徳川家康が遠江を領地にし...
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