フミヤ

7. 江戸時代

孝明天皇と明治維新:高まる権威と暴走する尊王攘夷派

孝明天皇は幕末の天皇。江戸時代の天皇は力も権威もなく幕府の保護(監視下)で生き延びている存在でした。しかし幕府の弱体化と攘夷という意思表示をすることで次第に権威を高めていきます。尊王思想は幕末の水戸から始まりました。しかしその天皇の姿は抽象...
7. 江戸時代

孝明天皇・祈るだけの存在から幕府に物申す天皇へ

孝明天皇は幕末の混乱期にあって大きな影響力を持った天皇です。第121代の天皇になります。江戸時代の天皇は力も権威もない存在でした。幕府の決めた規則(禁中並公家諸法度)に縛られ、収入も幕府に管理されています。官位を授けるだけに生かされていると...
7. 江戸時代

ジョン万次郎(中濱万次郎)とはどのような人?

ジョン・万次郎(本名:中浜万次郎)は幕末にアメリカに渡り西洋の知識を身に着けて戻ってきた人物。万次郎自身は貧しい漁師でしたが、アメリカに渡り熱心に勉強して英語や航海術、造船技術を学びました。日本に戻ってきたあとは、通訳や航海、造船技術を教え...
井伊家

井伊万千代・徳川家康に仕えた若き日の井伊直政の活躍

井伊万千代は井伊直政が元服するまで名乗っていた名前です。14歳で徳川家康の小姓となった万千代は、家康のそばで仕え手柄をたて続けます。わずか6年の間に300石から4万石に大出世。井伊の家臣だは徳川家康を支える有力な家臣団に成長しました。井伊万...
井伊家

井伊谷三人衆(菅沼忠久・鈴木重時・近藤康用)とは何をしたのか

徳川家康が遠江に侵攻した時、3人の部将が道案内したといいます。その三人とは、菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用です。まとめて井伊谷三人衆とよばれます。井伊谷三人衆は井伊直虎が注目される以前から知られれた存在でした。一般には徳川家康が遠江を領地にし...
井伊家

ドラマよりも多かった?井伊直虎を支えた七人の重臣たち

戦国時代の井伊家。とくに井伊直虎時代には7人の重臣がいたといわれます。井伊家やその家臣たちも長引く戦で多くの人々を失いました。家臣団も井伊直平、直盛のじだいとはまた違った顔ぶれだったようです。井伊直虎に仕えた重臣たちをみてみましょう。井伊直...
井伊家

松下源太郎清景・直政の義父

松下清景は井伊直政の母の再婚相手。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では「しの」となってる女性と結婚しました。一時期・井伊直政の養父となり、井伊家を支える重臣になります。松下清景とはどんな人だったのでしょうか。 松下 源太郎 清景とは名 前...
徳川家

於大の方・徳川家康の母は苦労人

徳川家康の母は於大の方です。家康は歴史上の超有名人ですが、その母親となると意外と知られていないのではないでしょうか?松平家に嫁入したのに、実家が裏切り離縁されたり。実家の都合で再婚したり。息子・家康に兄が殺されたり、夫が失踪したりと家康の母...
井伊家

庵原朝昌と新野左馬之助の娘(桜)

庵原氏は今川家を支えた一族。その一族のひとり庵原朝昌に新野左馬之助の娘が嫁ぎました。左馬之助といえば幼いころの井伊直政(虎松)を守って奮闘した人物です。その新野左馬之助の娘と、今川家臣・庵原朝昌は結婚しました。それだけではありません、庵原朝...
今川家

大沢基胤は徳川軍の攻撃から堀江城を守った

大沢基胤は浜名湖周辺を治める領主でした。今川義元の死後、徳川家康に攻められ敗戦続きの今川軍の中で、徳川軍相手に大きなダメージを与えた武将です。その抵抗ぶりには家康も大沢基胤の城を落とすのを諦めました。大沢基胤は家康の配下になりましたが、その...
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