一ノ瀬美津は朝ドラ「風、薫る」の中でも、どこか強さと古風さをあわせ持つ印象的な存在です。
一ノ瀬美津にはどんな背景があり、誰がモデルになっているのでしょうか?
この記事では、一ノ瀬美津のモデルと考えられる大関哲の史実や原案小説での描かれ方、ドラマとの共通点と違いまでわかりやすくまとめます。
この記事で分かること
- 一ノ瀬美津がどんな性格と立場で描かれているのか
- 一ノ瀬美津のモデルが大関哲といえる理由
- 史実や原案での大関哲の人物像
- ドラマの一ノ瀬美津と大関哲の共通点と違い
一ノ瀬美津のモデルは大関哲
一ノ瀬美津とはどんな人物?
一ノ瀬美津は、朝ドラ「風、薫る」に登場するヒロイン・一ノ瀬りんの母です。
那須にあった小藩の旧藩主一族の出身で、明治維新後に家が農家となってからも、武家としての誇りを保って暮らしています。
性格は行動力があって、いざという場面ではなぎなたを手にするほどの強さを持っています。その一方で、新しいものにも興味を示す柔軟さもあり、古い価値観だけにとらわれた人物ではありません。
りんの生き方に影響を与える存在で、時代が大きく変わる中でも母として家族を支え続ける人物です。
一ノ瀬美津のモデルは大関哲
一ノ瀬美津のモデルと考えられるのが大関和の母・大関哲です。
NHKから一ノ瀬美津のモデルは大関哲と正式に公表されたわけではありませんが。ヒロインの一ノ瀬りんは大関和をもとにした人物で、一ノ瀬美津はりんの母として設定されていますから。大関和の母 大関哲がモデルになるのはごく自然なことと考えられます。
史実の大関哲はどんな人物?
では史実の大関和の母・哲とはどのような人物だったのでしょうか?
大関哲は黒羽藩の家老である大関弾右衛門増虎の妻で大関和の母です。
大関和は安政5年(1858年)に生まれですから、哲は幕末の武家社会で生活していた女性ということになります。哲は明治に入った後も存命で、1916年には娘の和とともに旧藩主の死について証言しています。
明治の世の中を息抜き、明治から大正へと移り変わる1912年に亡くなっています。
大関哲の資料は少なく歴史的にわかるのはこのくらいです。
史実の史料が少ない大関哲ですが、ドラマの一ノ瀬美津に影響を与えていると考えられるのが、「風、薫る」の原案になった著書「明治のナイチンゲール 大関和物語」に登場する大関哲です。
次に原案に登場する大関哲について紹介します。
原案での大関哲の人物像
ドラマの原案になった「明治のナイチンゲール 大関和物語」は実話に基づく物語ですが、一部人名が架空になっていたり、史料の少ない部分は脚色されています。
そのため史実そのままとは言えませんが、ドラマの一ノ瀬美津を知るためには参考になるので「物語版」の大関哲を紹介します。
武家の価値観を強く持つ母
「物語版」でも大関哲は黒羽藩の家老である大関弾右衛門の妻とされますが、詳しい家系は明らかにされていません。
大関弾右衛門と哲の間には2男3女が誕生。そのなかの次女が大関和です。
明治になってからの大関家では長女は志村家に嫁ぎ、長男はなれない生活に嫌気がして家出。大関家には次女・和、次男・衛(まもる)、三女・釛(こく)がいました。
夫の弾右衛門は教育熱心で娘たちに算術を学ばせていましたが。哲は「算術は下級武士が身につけるもの」と考え嫌っていました。
代わりに娘たちには茶道や華道を習わせ、哲自らは裁縫や機織り、料理を厳しく教えました。また「布団が縫えるようにならないとお嫁にいけません」と言って布団も縫わせました。
それでも手先の器用な大関和はすぐに上達したようです。
哲は子どもたちには自分を「母上」と呼ばせていました。ここにも武士らしさを失わない哲の生き方が現れていますね。
夫の死後に家を支える存在になる
夫の弾右衛門は明治9年(1876年)に流行り病にかかり病死しました。病床にある夫に対して哲が行ったのが「拝み屋」をつれてくることでした。明治の世になっても祈祷で病気がよくなると思っていたのでしょうか。それともどんな手段に頼っても夫の病を直したいという思いからだったのでしょうか。
増虎が亡くなった後は哲が裁縫を教えることで生計をたてていました。生活は楽とは言えないかも知れませんが、生活力のある人だったようです。
和は生前に弾右衛門が決めた相手・柴田豊之信(史実では渡辺福之信)と結婚。そのとき、哲は自分で縫った花嫁衣装を和に着せて送り出しました。
和の結婚後も衛と釛は家にいますから、家を支える母としての務めは続いていたのは確かでしょう。
娘と孫を受け入れる母
和は2人の子が生まれましたが。嫁ぎ先ではうまくいかず離縁して戻ってきました。
哲は和の子どもも含めて家庭に迎え入れ。和が外で働くことができるように孫の世話を引き受けました。
看護婦という仕事への抵抗
和の通う英語塾の者は多くがキリスト教徒でした。そのことを和が哲に話すと「耶蘇(キリスト教)が大勢いる塾なんていますぐ辞めなさい」といいました。江戸時代はキリスト教は邪教徒され禁止されていました。
明治になってキリスト教は解禁されましたが、世間での偏見も根強く哲もそのような価値観を持っていたようです。
結局、和はキリスト教徒になるのですが、哲はそんな娘に落胆したようです。
さらに哲は和が看護婦になることにも反対しました。
理由は武家の倫理観から見て、他人の身体に触れる仕事に抵抗があったためです。でも最初は反対していたものの、娘の熱意に負けて諦め。結果として和の外での活動を支える存在になります。
一ノ瀬美津との共通点
武家出身の母
ドラマの美津は旧藩主一族の出身とされています。
史実の大関哲も黒羽藩重臣の家の妻です。武家出身という点では共通しています。
明治後も江戸時代の価値観を持つ
原案の哲は明治になっても子どもたちに「母上」と呼ばせ武士らしさを失いません。キリスト教を嫌がったり、算術を位の低いものが行うものとみなす江戸時代の価値観が抜けません。
ドラマの美津も新しいものには興味を持つところはありますが、農家になっても武家の気位を保ち薙刀を持ち出す人物として描かれます。娘が看護婦になりたいと言うと反対します。
時代の変化と価値観のズレを抱える母という点で共通しています。
家族を支える母としての役割
原案では夫亡きあとは裁縫で生計をたて、哲は娘と孫を受け入れ生活を支えました。
ドラマでも美津はりんの人生の生活を支える母として描かれます。とくにドラマは夫が早くに亡くなるので母として家を支える期間が長く描かれます。
ドラマとの違い
次に違う所も見ていきましょう。
家柄の違い
史実や原案では哲の家柄はよくわかりません。でも原案では料理や裁縫・機織りを娘に教えていますから、自分では何もできないお嬢様ではなかったことが分かります。武家の娘ではあるけれども、殿様や家老クラスのトップクラスの家柄ではないようです。
ドラマの美津は旧藩主の家柄出身です。家柄がよいために夫の弾右衛門が農家になったときには、美津には農作業を行わせませんでした。史実や原案よりも家柄が高く設定されているようです。
家族構成の簡略化
史実や原案では2男3女がいるとされ。和は次女です。
ドラマでは子供はりんと安の二人です。りんが長女です。ドラマではわかりやすくするためか、家族構成が簡単に整理されています。
まとめ
一ノ瀬美津は、ヒロイン・一ノ瀬りんの母。名家の生まれで武家としての誇りを持ちますが、ただ厳しいだけの母でも古い価値観に縛られた人物でもありません。時代の変化の中で家族を守ろうとする姿には、母としての強さと深い愛情がにじんでいます。
モデルになった大関哲の資料は多くはないですが娘の生き方に大きな影響を与えた存在だったことがうかがえます。
ドラマでは史実や原案をもとにしつつ、ドラマのキャラクターとして魅力的になるように脚色されているようです。
ドラマを見るときは、りんだけでなく、彼女を支えた母・美津の生き方にも目を向けてみるとさらにおもしろくなりそうですね。
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