清水卯三郎は幕末から明治にかけて活躍した実業家です。
外国語を学び、海外との交渉に関わり、パリ万国博覧会に商人として参加し、帰国後は貿易や出版でも実績を残しました。
さらに、西洋の知識や技術を日本に取り入れるだけでなく、日本人が自分たちの力で新しい産業を育てるべきだと考えた人物でもあります。
博覧会の開催を政府に提案したことや、仮名文字の普及を唱えたことからも、清水卯三郎が単なる商人ではなく、社会全体の学びや産業の発展を見ていたことが分かります。
この記事で分かること
- 清水卯三郎の生い立ちと語学習得の特徴
- 幕末の外交や薩英戦争での具体的な役割
- パリ万国博覧会での成功とその工夫
- 貿易・出版・教育に通じる彼の思想と影響
清水卯三郎とは?語学と行動力で世界と日本を繋いだ人物
清水卯三郎は幕末から明治に優れた語学力と行動力を実際の商売や交渉の場で使いこなし、幕末の日本と海外をつないだ実務家です。
武蔵国羽生村に生まれた彼は、蘭学や英語を現場で磨き横浜貿易や通訳として経験と実績を積み。薩英戦争では通訳として交渉に関わり、さらにパリ万国博覧会では日本人商人として参加。日本文化を体験型で伝える展示で高い評価を受けています。
帰国後は貿易業とともに洋書輸入や出版事業、かな文字の普及にも取り組みました。
清水卯三郎はただ利益を追う商人ではなく、知識を広めることを大切と考え、日本の近代化を陰で支え続けた人物といえます。
清水卯三郎の生涯
武蔵国羽生村に生まれた清水卯三郎

清水卯三郎 肖像画
Public domain, via Wikimedia Commons
清水卯三郎は、文政12年3月4日に武蔵国埼玉郡羽生村(現在の埼玉県羽生市)で産声を上げました。酒造業を営む清水家の三男として育ち、母親は根岸友山の妹にあたります。
彼は若いころから非常に勉強家でした。まずは芳川波山から漢学を教わり、その後は箕作秋坪のもとで蘭学に打ち込みます。江戸時代も後半に入ると、日本は嫌応なしに外国と向き合わざるを得ない状況に置かれました。卯三郎もそうした時代の空気を敏感に感じ取り、早くから海外の言語や知識に強い関心を持っていました。
江戸で学んだ外国語を実務に活かす
1849年、洋学を学ぶため卯三郎は江戸へ向かいました。佐倉の蘭方医だった佐藤泰然からオランダ語の基礎を学びましたが、次第に商売の現場でこそ外国語が活かせると思うようになります。
1859年には横浜に移り、親戚が営む外国人向けの大豆商店を手伝い始めました。そこで英語の必要性を痛感した彼は、立石得十郎や立石斧次郎らに弟子入りして英語を学びます。彼の学習スタイルは文法の丸暗記のようなものではなく、実際に商売や交渉の現場で使いこなすための生きた英語でした。その点が卯三郎らしいと言えるでしょう。
彼の英語力の上達は驚くほど速く、1860年には自著の英語辞典『ゑんぎりしことば』を出版しました。言葉を覚えるだけでなくて学んだ成果を本にまとめて世間に出す行動力には驚かされます。
下田での出会いと身分に縛られない価値観
1854年。卯三郎は筒井政憲の供人として下田へ赴き、ロシアの全権大使プチャーチンと面会しました。このとき彼は気後れすることなく大使に話しかけ、見事に返答を引き出しています。
当時の日本は身分の差を厳しく意識して振る舞うのが当たり前の社会でした。しかし外国の人々と接する中で、身分に関係なく対等に言葉を交わせる文化に彼は深い感銘を受けました。
この下田での実体験が、のちに彼が海外へと目を向け国際的な交渉やビジネスへ積極的に飛び込んでいく原動力になったのは間違いありません。
薩英戦争で見せた通訳としての手腕
清水卯三郎は幕末の緊迫した外交の舞台でもその能力を発揮しました。1863年に起きた薩英戦争では幕府から正式な許可を得てイギリスの軍艦に同乗します。イギリス側の通訳として、和平交渉のために奔走しました。
また通訳だけでなく、イギリス側に拘束されていた薩摩藩の五代才助と松木弘安を保護し自分の実家や親戚の家に匿ったというエピソードも残っています。
卯三郎は非常に緊迫した国際交渉の現場で、実効性のある動きができる貴重な人物でした。
パリ万国博覧会に日本人商人として参加
清水卯三郎の功績でも輝かしい功績の一つが1867年のパリ万国博覧会への挑戦です。箕作秋坪の勧めを受けた彼は日本人商人として唯一この博覧会に参加し、出品を行いました。
このときのパリ万博では徳川昭武を代表とする幕府の遣欧使節団が同行しており、その中には若き日の渋沢栄一の姿もありました。
卯三郎は会場内に総檜造りの茶店を建設し、芸者に給仕や芸を披露させるという大胆な演出を試みます。
日本文化を五感で体験できるこの展示は現地で大きな反響を呼び、ついにはフランス皇帝ナポレオン三世から銀メダルを授与されるまでになりました。
ここで注目したいのは彼が単に商品を並べて売るだけでなく「日本という文化そのもの」を見せて体験できるようにした点です。
相手が何を求め、何に心を動かされるかを的確に捉えて形にする力や。洞察力が、後の貿易商や出版業者としての成功を支える土台となりました。
欧州で学び、帰国後は「瑞穂屋」を開業
万博を終えた清水卯三郎は、そのまま欧州に留まって学問や工芸の分野を見て回り、アメリカを経由して帰国しました。
1868年に日本へ戻ると、すぐに浅草で「瑞穂屋」を立ち上げ洋書の輸入を開始します。翌年には店を日本橋へと移しました。
瑞穂屋は海外の最新知識や製品を日本へ届ける重要な拠点となりました。彼がのちに「瑞穂屋卯三郎」の名で親しまれたのは、この店の存在がそれほど大きかった証拠です。
ここでも、彼の視点は単なる商品の売買にとどまりませんでした。
「何を輸入すれば日本の役に立つか」「何を広めれば社会がより良くなるか」という、社会の変革を見据えた経営姿勢が彼の持ち味でした。
出版業を通じて海外事情を伝えた
貿易商として足場を固める傍ら、卯三郎は出版業にも乗り出します。印刷機を輸入し、『六合(りくごう)新聞』を刊行して海外の最新情勢を紹介しました。
幕末から明治にかけての日本にとって海外の動向を知ることは極めて重要な意味を持っていました。政治、産業、技術、社会制度のすべてが激変していた時代だったからです。
卯三郎は自分だけが情報を独占して利益を得るような道は選びませんでした。得た知識を本や新聞という形にして広く普及させ、日本人全体の理解を底上げすることに心血を注いだのです。商売と知識の普及を切り離さず、一体のものとして捉えていたことがよくわかります。
歯科材料の輸入で見せた実務的な手腕
1880年代に入ると、卯三郎は歯科材料の輸入販売でもその名を知られるようになります。当時、歯科治療に使う材料のほとんどは輸入品に頼っていました。彼はそれらの輸入販売を手がけるだけでなく『歯科全書』の出版まで行っています。
外国の華やかな文化や工芸品だけでなく、医療や日用品といった実利的な分野でも、海外の知識と物資を日本へ根付かせようとしました。こうした活動からは文明開化期を支えた実業家としての、非常に堅実で実務的な一面がうかがえます。
国内博覧会の開催を政府に提案
明治5年、清水卯三郎は「博覧会ヲ開ク之議」という建白書を政府に提出しました。その内容は日本でも博覧会を開催し、人々の見識を広げるとともに産業を振興し西洋の技術を学ぶ場を作るべきだという提言でした。
彼には次のような信念がありました。
というのです。
輸入に頼り続けるだけでは、国としての本当の強さは得られないと確信していたのです。
博覧会を単なる「見世物」としてではなく、技術導入と産業育成のための教育の場と捉えていた点に彼の先見性が表れています。
のちに第1回内国勧業博覧会が開催され、西洋の新しい機械が人々の目に触れることになりますが、卯三郎の提言はまさにきっかけとして日本の進むべき方向を指し示していました。
仮名文字の普及を唱えた真意
清水卯三郎は言語文化の面でも「仮名文字論者」として知られています。彼は当時の知識人が集う『明六雑誌』で、ひらがなを普及させることが国民全体の教養を高める鍵になると主張しました。
この考えには知識は一部の特権階級が独占するものではなく、誰もが読める形で社会全体に共有されるべきだという信念がありました。難しい漢字や古めかしい言い回しに執着していては、学べる人が限られてしまい国全体の底上げにはつながりません。
そこで彼は志を同じくする学者たちと「かなのとも」を結成し、機関誌『かなのみちびき』を創刊しました。晩年の回想録である『わがよのき』も、すべて仮名文字で綴られています。
清水卯三郎は単に海外の知識を日本へ持ち込むだけでは不十分だと考えていました。それを誰もが理解できる形に変えて広めること。言葉のあり方までもが社会の発展に直結していることを見抜いていたのです。
清水卯三郎とはどのような人物だったのか
清水卯三郎を一言で表現するなら「海外での経験と語学力を、日本のビジネスと教育に直結させた人物」と言えます。
彼は語学を習得して外交の最前線で立ち回り、世界最高峰の博覧会に参加。帰国後は貿易や出版事業を営みながら、国内の博覧会制度や文字のあり方にまで提言を行いました。一見すると、語学者、商人、出版人、思想家といくつもの顔を持っているように見えますがその根底にある目的はすべて一貫しています。
- 海外の実情を正しく知る
- その知識と物資を日本へ持ち帰る
- 商売や出版を通じて社会全体に広める
- 日本人が自ら学び、作り、発信できる国を目指す
というものといえます。
幕末から明治という激動の時代に日本が自立して進むべき道を考え続けた実業家として、もっと高く評価されるべき存在でしょう。
関連記事
清水卯三郎が登場するドラマ「風、薫る」
風、薫る 登場人物一覧!朝ドラの人物・モデル・キャストをわかりやすく紹介

コメント