一ノ瀬信右衛門のモデルは大関 団右衛門 増虎 ・ドラマと史実の違いとは?【風、薫る】

朝ドラ「風、薫る」で一ノ瀬りんの父として登場する 一ノ瀬信右衛門には実在のモデルがいます。信右衛門のモデルは 大関和の父 大関団右衛門増虎。

でもドラマの一ノ瀬信右衛門は、史実の大関増虎そのままではありません。ドラマようにアレンジされた人物と言えます。

この記事では 一ノ瀬信右衛門のモデルの紹介と史実の大関増虎と何処が共通して何処が違うのかを紹介します。

この記事で分かること

  • 一ノ瀬信右衛門のモデルが大関増虎といえる理由
  • 史実の大関増虎の経歴と幕末期の役割
  • 原案小説における父としての人物像
  • ドラマと史実・原案の違いと脚色ポイント

 

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一ノ瀬信右衛門のモデルとして有力なのは大関和の父

まずはドラマの一ノ瀬信右衛門がどういう人物なのか簡単に紹介します。

ドラマの一ノ瀬信右衛門とは

一ノ瀬信右衛門はヒロイン・りんの父。
設定では那須地域にあった小藩の元家老です。信右衛門は明治維新前に家老を辞職して農家になりました。役人にならないかという誘いはありましたが、断り続けています。生活は苦しくはなく、子供たちも特に不自由なく暮らしているようです。

性格は穏やかでりんと安に「自分で考えること」を教えてきました。

一ノ瀬信右衛門のモデルは大関 団右衛門 増虎

一ノ瀬りんのモデルは実在した看護師「大関和」だと発表されています。

さらにドラマ「風、薫る」の原案は田中ひかるの著作「明治のナイチンゲール 大関和物語」だと発表されています。

一ノ瀬信右衛門は一ノ瀬りんの父ですから、彼のモデルは大関和の父ということになりますよね。

大関和の父は大関 団右衛門 増虎 ですから、一ノ瀬信右衛門のモデルは大関 団右衛門 増虎とみてよさそうです。

では大関 団右衛門 増虎とはどのような人物だったのでしょうか?

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史実の大関団右衛門増虎はどんな人か

大関 団右衛門 増虎(おおぜき だんえもん ますとら)は、団右衛門は武士が普段使う通称。増虎は諱(いみな:本名)。

大関 団右衛門と書くこともあれば、大関増虎と書くこともあります。この記事では本名の大関増虎で書きます。

大関増虎は黒羽藩の重臣でした。黒羽藩は今の栃木県太田市にあった小さな藩で、幕末の時点では1万8千石の小さな大名でした。

大関家は藩主の親戚にあたる家柄で、藩主の大関増虎 を支える立場にあります。増虎は元治元年(1864年)に家老へ就任。幕末の黒羽藩で重要な立場にありました。大関家の石高は二百石でした。

「ばけばけ」のモデルになった小泉セツの実家・小泉家が三百石の上級武士。養女となった先の稲垣家が百石(上級武士の下)。家老の塩見家(セツの母の実家)が一千石。小泉家が仕えた松江藩は18万6千石 です。それと比べると黒羽藩は小さく、大関家も家老にしては石高は少ないといえますね。

 

幕末の黒羽藩では軍制改革が行われ近代化が進められていました。大関増虎はその中で硫黄採掘の陣頭指揮なども務め、鉱山関係で活躍しました。

藩主の死で家老職を辞職

慶応3年(1867年)12月9日。王政復古の大号令によって新政府が誕生。新政府軍と旧幕府側との間で戊辰戦争が行われました。このとき会津は朝敵とされてしまいます。

このとき家老だった大関増虎は藩主の大関増裕に呼び出され、苦しい胸の内を明かされたといいます。大関増裕は幕府の要職を務めており隣の会津藩も兄弟のように思っていました。でも天皇を敵にはしたくありません。増裕は私が犠牲になるから黒羽藩は天皇に尽くしてほしいと言ったといいます。

その翌日。大関増裕は猟に出かけた時に死亡しました。公式発表は中の暴発による事故死とされますが、死因については自殺・他殺・事故など諸説ありますが。

大関和は父・大関増虎から「自殺だった」と聞かされたと回顧してます。増虎は藩主の死について何らかの情報は持っていたと思われますが。本当に自殺なのかはわかりません。

黒羽藩は大関増裕の言いつけどおり、新政府側にたって戦い会津藩とも戦火を交えました。

大関増虎は慶応4年8月に家老を辞職。その後はその後は一家そろって東京に出て来ました。

一時は農家になろうとしたようですが、明治2年には黒羽藩の藩制改革の中で家知事とったため家族とともに黒羽藩に戻りました。明治3年には白川県大属に任命されています。

明治9年1876年5月27日、病気のため50歳で亡くなっています。

大関増虎の資料は限られそれもほぼ公務の内容が中心です。増虎がどのような人物だったのかはよくわかりません。

 

原案小説で団右衛門はどう描かれているか

ドラマ「風薫」の一ノ瀬信右衛門の人物設定に影響を与えているのは、原案に登場する大関団右衛門といえるでしょう。

というわけで原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」に登場する大関団右衛門がどのような人物として描かれているのか紹介します。

「大関和物語」では「大関団右衛門」と書かれているので、この記事でも物語版は「大関団右衛門」と表現します。

原案「大関和物語」の家老・大関団右衛門の姿

原案でも黒羽藩の藩主・大関増裕は近代化に熱心で藩政改革を行いました。その中で茶臼山を硫黄鉱山として開発、得た硫黄を火薬の原料として幕府に買い取らせ資金源にしようとしました。その硫黄鉱山の開発を命じられたのが家老の大関団右衛門でした。

しかし王政復古の大号令によって。会津との戦闘が確実となり。板挟みとなった大関増裕が苦悩。家老の団右衛門を呼び出して苦しい胸の内を明かすところまでは同じです。

藩主の自害を知り苦しい胸の内を理解

このとき原案では団右衛門は藩主・大関増裕とともに自害を望みますが、増裕は自害は自分だけで良いと、団右衛門に藩の行く末を託し。翌日、猟に出た増裕は鉄砲で自害しました。

その後、団右衛門は一時は帰農しようと考えます。しかし藩に引き留められ、いったんは家知事として残ります。さらにその後は親戚を頼って家族とともに上京しますが、商売に手を出して失敗して病気がちになりました。

教育熱心な父としての団右衛門

原案で特に目立つのは父としての姿です。史実ではプライベートな情報はほとんどわかりませんが。原案では娘たちの教育方針まで細かく描写されています。

団右衛門は家で和たちに四書を講義し、どんなときでも学問を怠ってはいけないと教えます。さらに、これからの時代は女にも算術が必要だと考え、子どもたちを書道と算術の塾に通わせました。

後の大関和の優秀さや教養をみると団右衛門が娘たちにも教育を行っていたのだろうとは想像できます。

小説では更に進んで、学問を重んじ、娘にも教育が必要だと考え。時代が変わる中でも子どもに必要なものを見きわめようとする父として描かれています。

団右衛門の最後

そして和が18歳になった時に縁談をまとめ、その後に流行り病で五十歳で亡くなりました。このへんの経緯も史実通りと言えるでしょう。

 

一ノ瀬信右衛門と大関団右衛門増虎の共通点

ここまでみると、一ノ瀬信右衛門と大関増虎、原案の団右衛門をもとにしているのは間違いありません。

小藩の元家老

一ノ瀬信右衛門は那須地域の小藩の元家老です。大関増虎も黒羽藩の元家老です。

那須地域は黒羽藩のあった場所・現在の栃木県太田市周辺です。表現は違いますが同じ場所です。

家老職を辞めている

信右衛門は明治維新前に家老職を辞めて後に農家となりました。

大関増虎も家老でしたが藩主の死後、辞職しています。また家老職を辞した後に帰農を考えたこともありました。

細かな流れは同じではありませんが、家老職を捨てて新しい生き方を選んだのは同じです。

娘の教育に強く関わる父

信右衛門はりんと安に論語を教え、自分で考えることを教えてきました。

史実は分かりませんが、原案の団右衛門は学問に熱心で娘に四書(儒教の経典)を教え。算術と書道を習わせました。

ドラマと原案も娘の教育が大事だと考える父として描かれています。

この三つを考えると、信右衛門は史実の大関増虎をもとにしつつ、原案小説で具体的に描かれた団右衛門の父親像を取り入れて作られた人物といえそうです。

 

一ノ瀬信右衛門と違うところ

共通する部分が多いですが、信右衛門が大関増虎や原案と違う所もあります。

農家になっている

一番大きく違うのは家老を辞めた後の生き方です。

史実の増虎は家老職を辞した後に家知事や白川県大属として行政に関わっています。

原案の団右衛門も、農家になることは考えましたが、家知事として藩に残り、その後は上京して商売に手を出します。

これに対して信右衛門は家老職を辞めた後は農家となり、役人にはなりませんでした。つまりドラマでは家老辞任後の身の振り方が単純化されています。

東京には行っていない

史実では大関一家は増虎が家老を辞めた後にいったん東京に出ています。その後、増虎の仕事の都合で黒羽に戻りました。原案でも大関一家は団右衛門が家老を辞めた後、しばらく家知事についたもののその後は東京に出て暮らしています。

でもドラマでは大関一家が東京に出ている様子がありません。信右衛門は家老を辞めた後は那須地方で農家として生きて死んでいます。

 

まとめ

一ノ瀬信右衛門のモデルは大関和の父 大関団右衛門増虎でした。でも一ノ瀬信右衛門は史実の大関増虎をそのまま再現しているわけではなく、原案小説で描かれた団右衛門の姿がかなり強く影響しています。

史実の増虎は黒羽藩の家老として藩政に関わり、藩主の死後に辞しその後も家知事や白川県大属として明治初年の行政に関わった人物でした。

原案の団右衛門はそれに加えて学問を大切にして娘にも教育が必要だと考え、維新後の苦労を背負う父として描かれています。

ドラマでは農家として静かに生きる姿に簡略化されており、その分、家族との関係や内面的な優しさが詳しく描写されているようです。

ドラマの一ノ瀬信右衛門がなぜあのような生き方をしているのか、モデルになった人物の背景を知ればドラマがさらに楽しめると思います。

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