2027年のNHK大河ドラマ・逆賊の幕臣は、松坂桃李さんが演じる小栗忠順(おぐりただまさ)が主人公です。幕末の江戸幕府を舞台に、幕府を立て直そうとした小栗と、その周囲の人々が描かれます。
小栗忠順はアメリカに渡り、帰国後は幕府の財政や外国との交渉を担当しました。勝海舟とも交流がありましたが、江戸幕府が滅亡するころには二人の意見が対立します。
小栗はなぜ新政府軍に処刑されたのでしょうか。妻のみちや養子の忠道はどうなったのでしょう。勝海舟や吉田松陰、高杉晋作と小栗の関係も気になりますね。
この記事では、逆賊の幕臣の登場人物とキャスト、実在した人物の史実、ドラマに関係する幕末の出来事を紹介します。
主人公・小栗忠順はどんな人?松坂桃李が演じる幕臣
小栗忠順(おぐりただまさ):松坂桃李
幕末の旗本。小栗上野介ともいわれます。
文政10年(1827年)、江戸の旗本・小栗家に生まれました。小栗家は2500石の旗本で、代々徳川将軍に仕えてきた家です。
小栗は若いころから学問や剣術を学び、幕府の役人となりました。万延元年(1860年)には遣米使節の一員としてアメリカへ渡ります。
帰国後は勘定奉行や軍艦奉行などを務め、幕府のお金の管理や軍艦の建造、外国との交渉を担当しました。
特に力を入れたのが横須賀製鉄所の建設です。外国から軍艦を買うだけでなく、日本でも軍艦を造ったり修理したりできるようにしようと考えたのです。
ところが慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、小栗は新政府軍との戦いを続けるよう徳川慶喜に主張しました。しかし慶喜に受け入れられず、役職を解かれます。
小栗は上州の権田村に移り住みましたが、新政府軍に捕らえられ、処刑されてしまいました。
幕府のために働いてきた小栗がなぜ処刑されなければならなかったのでしょうか。ドラマでも気になるところです。
小栗忠順の妻・家族と小栗家の人々
みち:上白石萌音
小栗忠順の妻。道子とも呼ばれます。
父は播磨国林田藩(現在の兵庫県姫路市)の藩主・建部政醇です。大名の娘として生まれ、旗本の小栗家に嫁ぎました。
慶応4年(1868年)、小栗が新政府軍に捕らえられたころ、みちは子供を身ごもっていました。
みちは小栗の母や養女とともに会津へ逃れ、夫が処刑されたあとに娘の国子を出産します。
国子は父親の顔を知らずに育ったんですね。その後、明治時代には小栗家の家名が再興されました。
小栗忠高(おぐりただたか):北村有起哉
小栗忠順の父。小栗家の当主として幕府に仕え、新潟奉行などを務めました。
ドラマでは、若い忠順に旗本としての心得を教える父親として登場します。
くに:鈴木京香
小栗忠順の母。
夫の忠高とともに小栗家を支え、息子の忠順を育てました。小栗が処刑されたころには、みちたちとともに会津へ避難しています。
小栗忠道(おぐりただみち):齋藤潤
小栗忠順の養子。もとは小栗の友人・駒井朝温の次男で、悌次郎とも呼ばれました。
ドラマでは、小栗がアメリカへ渡ることになった際、もし帰国できなかった場合に備えて養子に迎えられます。
成長した忠道はフランス語を学び、徳川慶喜とフランス公使の会談で通訳を務めるほどになります。
しかし、慶応4年(1868年)、養父の小栗忠順が処刑された翌日、忠道も処刑されました。
建部政醇(たけべまさあつ):飯尾和樹
小栗の妻・みちの父親。播磨国林田藩の藩主で、小栗にとっては義理の父にあたります。
大名の娘だったみちが旗本の小栗に嫁いだことで、建部家と小栗家は親戚になりました。
荒川祐蔵(あらかわゆうぞう):草川拓弥
小栗忠順に仕える従者。
ドラマでは小栗の遣米使節にも同行します。主人と一緒にアメリカへ渡る従者が、現地で何を見て、どんな経験をするのかも気になります。
武笠祐左衛門(むかさゆうざえもん):ANI
小栗家に長く仕えている家臣。父の忠高の代から小栗家を支えています。
ドラマでは小栗がアメリカへ渡っている間も江戸に残って小栗家の仕事を担当します。
佐藤藤七(さとうとうしち):甲本雅裕
小栗家の領地だった上州権田村の名主。
ドラマでは小栗の遣米使節にも参加します。小栗が幕府の役職を解かれて権田村へ移り住むことになるため、後半にも関係する人物ですね。
勝海舟と小栗忠順の仲間たち
小栗には若いころからの友人や幕府で一緒に働いた仲間がいました。
勝海舟(かつかいしゅう):大沢たかお
幕臣。幕府の海軍を育てるために働き咸臨丸でアメリカへ渡ったことでも知られています。小栗も勝も西洋の技術を取り入れ日本の軍備を改めようとしました。
しかし小栗は幕府を残したまま近代化しようとしたのに対して、勝は幕府をなくしてでも近代化を目指しました。さらに幕府が新政府軍と戦うことになると、小栗は抗戦を主張したのに対し勝は西郷隆盛と交渉して江戸城を明け渡しました。
ドラマ紹介を見ていると小栗忠順と対になるもう一人の主人公のような存在にみえます。ドラマでは小栗のライバルとして登場しますが、二人がどのような関係を築くのかも楽しみです。
たみ:瀧内公美
勝海舟の妻。
勝は幕府の仕事で各地へ出かけることが多く、たみは家に残って家族の暮らしを支えました。ドラマでは勝の家庭での様子も描かれます。
栗本鋤雲(くりもとじょうん):青木崇高
もとは医師だった幕臣。幕府の役人となった後は外国との交渉を担当しました。
ドラマでは小栗の年上の幼なじみです。小栗とともにフランスとの交渉にも関わります。
横須賀製鉄所の建設にもフランスが協力しているため、小栗と栗本がどのように仕事を進めるのか気になりますね。
駒井朝温(こまいともあつ):高橋光臣
旗本、小栗忠順の幼なじみ。
小栗の養子となる忠道の実の父親でもあります。小栗とは友人であるだけでなく、息子を養子に出したことで家族同士の関係もできました。
滝川具挙(たきがわともたか):宮野真守
旗本、小栗忠順の幼なじみ。
ドラマでは小栗や駒井たちと若いころから交流しています。幕府が新政府軍と戦うことになった際には、抗戦を主張する人物です。
朝比奈昌広(あさひなまさひろ):芝大輔
旗本、小栗の仲間。
ドラマでは若いころから小栗たちと交流し、幕府の役人となってからは外国との交渉などにも関わります。
三野村利左衛門(みのむらりざえもん):荒川良々
小栗家の奉公人から商人になった人物。
後に三井の大番頭となり、幕末の三井家の商売を支えました。
小栗が幕府の財政を担当するようになると、三野村もその仕事に関わることになります。
旗本の家に仕えていた人物が大商人になるというのも、面白い経歴ですね。
安積艮斎(あさかごんさい):中村雅俊
儒学者、江戸で多くの若者に学問を教えました。
小栗忠順や吉田松陰らも安積のもとで学びました。
ドラマでは小栗たちの先生として登場、若い幕臣や長州藩士が議論する場面にも関わります。
江戸幕府の将軍と幕臣たち
小栗がいた時代の江戸幕府では将軍が次々と代わりました。外国との交渉をどうするのか、次の将軍を誰にするのかをめぐって幕府の中でも対立が起きていました。
井伊直弼(いいなおすけ):岡部たかし
彦根藩主、幕府の大老を務めた人物。
小栗の能力を認め、幕府の仕事に登用しました。
井伊は外国との条約締結を進める一方、反対する大名や志士たちを処罰しました。これが安政の大獄です。
安政7年(1860年)、江戸城の桜田門の外で水戸藩の脱藩浪士らに襲われ、殺されました。
小栗がアメリカへ渡っている間に起きた事件でした。
徳川家慶(とくがわいえよし):宅麻伸
江戸幕府 12代将軍。
小栗が若いころの将軍で、黒船来航の直後に亡くなりました。
徳川家定(とくがわいえさだ):ふかわりょう
江戸幕府 13代将軍。家慶の息子。黒船が来航した嘉永6年(1853年)に将軍となりました。
家定には跡継ぎがいなかったため、次の将軍を誰にするかで幕府内の意見が対立します。
徳川家茂(とくがわいえもち):神尾楓珠
江戸幕府 14代将軍。
紀州徳川家から将軍となり、孝明天皇の妹・和宮と結婚しました。
幕府と朝廷が協力するための結婚でしたが、家茂と和宮は仲の良い夫婦だったと伝えられています。
家茂は長州征討のため大坂に滞在していた慶応2年(1866年)、21歳で亡くなりました。
阿部正弘(あべまさひろ):岩田剛典
黒船来航のときに幕府の老中を務めていた人物。
ペリーが開国を求めると、阿部は幕府だけで対応を決めず、朝廷や大名にも意見を求めました。
外国との交渉をどう進めるか、幕府の中でも意見が異なっていた時代です。
鳥居耀蔵(とりいようぞう):北村一輝
江戸幕府の役人。江戸町奉行などを務めました。
西洋の学問を学ぶ人々を取り締まった蛮社の獄にも関わっています。
ドラマでは小栗たちの考えに反対する人物として登場します。
徳川斉昭(とくがわなりあき):柄本明
水戸藩の藩主、徳川慶喜の父親。
外国に対して強い態度を取るよう幕府に求め、息子の慶喜を次の将軍にしようとしました。
井伊直弼とは将軍の後継ぎ問題などで対立し、安政の大獄では処罰を受けています。
天皇と朝廷の人々
幕末には朝廷も幕府の政治に関わるようになりました。
特に外国との条約をめぐって幕府と孝明天皇の意見が対立します。
孝明天皇(こうめいてんのう):眞栄田郷敦
幕末の天皇。
外国との通商に反対しており、幕府が天皇の許可を得ずに日米修好通商条約を結んだことにも反発しました。
その一方で幕府と朝廷が協力することは認め、妹の和宮を徳川家茂に嫁がせています。
慶応2年(1866年)に亡くなりました。
明治天皇(めいじてんのう):奥野壮
孝明天皇の皇子、慶応3年(1867年)に即位しました。
即位した年には徳川慶喜が大政奉還を行い、翌年には新政府と旧幕府軍の戦いが始まります。
岩倉具視(いわくらともみ):山中崇
公家。
和宮と徳川家茂の結婚に関わり、後には徳川慶喜から政治の権限を取り上げる王政復古にも関わりました。
明治政府でも仕事を続けた人物です。
鷹司政通(たかつかさまさみち):長塚京三
公家。摂関家の一人。
孝明天皇のもとで政治に関わりましたが、外国との条約をめぐって天皇と意見が対立することもありました。
薩摩・長州の登場人物
薩摩藩や長州藩にも西洋の技術を学び日本を変えようとする人々がいました。
吉田松陰(よしだしょういん):中村倫也
長州藩の武士、松下村塾で高杉晋作や伊藤博文らを教えた人物です。
江戸では安積艮斎にも学んでおり、ドラマでは小栗たちと議論することになります。
安政の大獄で捕らえられ、安政6年(1859年)に処刑されました。
高杉晋作(たかすぎしんさく):寛一郎
吉田松陰の弟子、長州藩の武士。
ドラマでは江戸で小栗と出会い、投獄された松陰を助けようと小栗に頼みます。
後には奇兵隊を結成し、長州藩で軍隊の改革を進めました。幕府と長州藩が戦うときには、幕府に対抗する側となります。
若いころに小栗と知り合った高杉が、後には幕府と戦うことになるんですね。
島津斉彬(しまづなりあきら):西岡德馬
薩摩藩藩主。
西洋の技術を取り入れ、薩摩藩で大砲や船の製造などを進めました。
ドラマでは若い勝海舟にも期待する人物として登場します。
島津久光(しまづひさみつ):斎藤工
島津斉彬の異母弟。
斉彬が亡くなった後、藩主となった息子の忠義を支えて薩摩藩の政治を担当しました。
文久2年(1862年)には兵を率いて京都や江戸へ向かい、幕府に政治の改革を要求します。
久光の一行が江戸から薩摩へ帰る途中に起きたのが生麦事件です。
逆賊の幕臣に登場する幕末の出来事と史実
逆賊の幕臣では黒船来航から江戸幕府の滅亡まで、幕末に起きたさまざまな出来事が描かれます。
小栗忠順が幕府で働いていたころ、日本では外国との交渉や戦争が続き、幕府は多額のお金を必要としていました。
ドラマに関係する主な出来事を紹介します。
黒船来航と開国(1853年~)
嘉永6年(1853年)、アメリカのペリーが軍艦を率いて浦賀にやって来ました。
ペリーは日本に開国を求め、翌年には日米和親条約が結ばれます。
安政5年(1858年)には日米修好通商条約が結ばれ、外国との貿易が始まることになりました。
しかし、孝明天皇は外国との通商に反対していました。幕府が天皇の許可を得ずに条約を結んだことで、国内の対立が激しくなります。
安政の大獄と吉田松陰の処刑(1858~1859年)
安政の大獄は、大老の井伊直弼が幕府の政策に反対する大名や公家、志士たちを処罰した事件です。
将軍の後継ぎ問題や外国との条約をめぐる対立が原因でした。
吉田松陰もこの事件で捕らえられ、安政6年(1859年)に処刑されます。
ドラマでは小栗が井伊直弼に登用される一方、吉田松陰や高杉晋作とも交流します。小栗と関係のある人々が、事件によって敵味方になることもあるのです。
桜田門外の変(1860年)
安政7年(1860年)3月3日、井伊直弼が江戸城へ向かう途中、桜田門の外で襲われて殺されました。
襲撃したのは水戸藩の脱藩浪士らです。安政の大獄など、井伊の政治に反発していました。
このとき小栗忠順は遣米使節の一員として日本を離れていました。アメリカから帰国したときには、自分を登用した井伊がすでに亡くなっていたのです。
遣米使節と小栗忠順のアメリカ訪問(1860年)
万延元年(1860年)、幕府はアメリカとの条約の批准書を交換するため、使節団を派遣しました。
正使は新見正興、副使は村垣範正で、小栗忠順は監察として参加します。
一行はアメリカの軍艦ポーハタン号に乗って太平洋を渡り、ワシントンへ向かいました。
アメリカでは政府との外交だけでなく、工場や造船施設なども見学しました。
小栗は帰国後、日本でも軍艦を造ったり修理したりできる施設を建設しようとします。
咸臨丸の渡米と勝海舟(1860年)
小栗がアメリカに渡った同じ年、勝海舟も咸臨丸に乗って太平洋を横断しました。
咸臨丸には勝海舟のほか、木村芥舟や福沢諭吉、中浜万次郎らが乗っていました。
小栗たちの使節団がワシントンへ向かったのに対し、咸臨丸はサンフランシスコまで同行し、修理を受けてから帰国しています。
同じアメリカ行きでも、小栗と勝では担当した仕事が違っていたんですね。
和宮と徳川家茂の結婚(1862年)
文久2年(1862年)、孝明天皇の妹・和宮が14代将軍の徳川家茂と結婚しました。
幕府と朝廷が協力して政治を行うための結婚でした。
和宮は京都で育ちましたが、結婚のため江戸城の大奥に入ります。
家茂と和宮は仲の良い夫婦だったと伝えられています。しかし家茂は慶応2年(1866年)に大坂で亡くなり、結婚生活は4年ほどで終わりました。
生麦事件と薩英戦争(1862~1863年)
文久2年(1862年)、島津久光の一行が武蔵国生麦村を通った際、薩摩藩士がイギリス人を殺傷しました。これが生麦事件です。
イギリスは幕府と薩摩藩に賠償を要求し、幕府は10万ポンドを支払いました。
一方、薩摩藩とイギリスの交渉はまとまらず、翌年には薩英戦争が起きます。
薩摩藩士が起こした事件なのに、幕府も賠償金を支払わなければならなかったんですね。
長州征討(1864~1866年)
幕府は元治元年(1864年)と慶応2年(1866年)、二度にわたって長州藩への軍事行動を起こしました。
最初の長州征討では、長州藩が幕府の要求を受け入れ、戦闘を避けて決着しました。
しかし二度目の長州征討では、長州軍が各地で幕府側の軍勢を破ります。
高杉晋作らは長州藩の軍隊を改め、西洋式の武器も取り入れていました。小栗たちも幕府の軍備を改めようとしていましたが、長州との戦いでは幕府側が敗れることになります。
横須賀製鉄所の建設(1865年~)
小栗忠順が特に力を入れたのが横須賀製鉄所の建設です。
当時の幕府は外国から軍艦を買っていましたが、壊れた軍艦を日本で修理できる施設が十分にありませんでした。
そこで小栗はフランスの協力を得て、軍艦の修理や建造ができる施設を横須賀に造ろうとしました。
フランス人技術者のヴェルニーが建設を担当し、慶応元年(1865年)に工事が始まります。
幕府が滅亡した後も明治政府が建設を続け、明治4年(1871年)には第1号ドックが完成しました。
小栗は完成を見ることができませんでしたが、横須賀製鉄所はその後も使われ、日本の造船業の発展に役立ちました。
鳥羽・伏見の戦いと小栗忠順の最期(1868年)
慶応4年(1868年)、旧幕府軍と新政府軍が京都の鳥羽・伏見で戦い、旧幕府軍が敗れました。
徳川慶喜は大坂から江戸へ帰り、今後どうするかを幕臣たちと相談します。
小栗忠順は新政府軍と戦うことを主張しましたが、慶喜はその意見を受け入れず、小栗を罷免しました。
小栗は領地の上州権田村に移り住みましたが、同年閏4月に新政府軍に捕らえられ、処刑されてしまいます。
小栗が処刑された理由については、現在もはっきりしない点があります。
妻のみちは会津へ避難し、夫が亡くなったあとに娘の国子を産みました。
ドラマでは小栗忠順がどのような最期を迎えるのか、そして残された家族がどうなるのかも気になるところですね。

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