6 戦国時代

豊臣家

豊臣秀次の死因とは?秀吉はなぜ秀次を自害に追い込んだのか

豊臣秀次はなぜ切腹したのでしょうか。秀次が謀反を企てたというのが秀次切腹の表向きの理由となっています。でも当時から秀次謀反は信じがたいこととして言われていたようです。本当に謀反であれば、切腹ではなく斬首か極刑となるはずですよね。処分するため...
豊臣家

豊臣秀次2 秀頼の誕生が死を早めた悲劇の関白

子供のいない豊臣秀吉から関白の座を譲られた豊臣秀次。関白になるまでの秀次の前半生はこちらを御覧ください。・豊臣秀次・秀吉の後継者なのに暴君・無能は濡れ衣?京の都では公家の付き合いもこなし、国内のまつりごとをおこない。無難に治めていました。秀...
徳川家

本多忠勝・徳川最強の男

徳川家康の家臣の中でも武勇に秀でた本多忠勝。徳川四天王の一人といわれ。戦場で目覚しい活躍をみせました。その活躍は武田方の武将や織田信長・豊臣秀吉からも賞賛されたといいます。豪快な性格の一方で武勇に優れた人物を尊敬し、敵でも敬意をはらう一面も...
豊臣家

寧々(高台院)とは?豊臣秀吉の正室・北政所の生涯

寧々(ねね)は豊臣秀吉の正室、関白就任後は北政所、出家後は高台院と呼ばれました。呼び名の違いや生涯年表、秀吉死後の様子を紹介します。
豊臣家

大谷吉継・関ヶ原に散った義の名将

大谷吉継(おおたに よしつぐ)は石田三成と共に徳川家康に立ち向かった武将。最初から家康に敵対していたわけではありません。むしろ家康を天下をとれる武将と評価していました。それでも家康と敵対する道を選んだのは、石田三成との深い関係があったからだ...
豊臣家

片桐且元・豊臣家に尽くし最後は敵になった悲運の武将

豊臣家に仕える、片桐且元。賤ヶ岳の七本槍のひとりにも数えられますが。秀頼時代の重臣としての且元の方が知られているかもしれません。豊臣家のために尽くしながら、最後は豊臣家を追われる立場となった且元。豊臣家を裏切ったずる賢い奴という評判と、豊臣...
豊臣家

皎月院・石田三成の妻

豊臣秀吉に尽くした石田三成。その石田三成の妻についてはあまり知られていません。石田三成の正室は皎月院(こうげついん)といいます。皎月院とはどのような人だったのでしょうか。皎月院(こうげついん)とは皎月院の名前は うた だったとも言われます。...
豊臣家

茶々(淀殿)・豊臣家の滅亡に立ち会った子供想いの強い母

戦国史上、一番有名な女性といってもいいくらい知名度の高い淀君。父を母の実家に殺されたり、義父と母を自害に追い込んだ者の妻になったり、生涯三度の落城を経験した末、自害しました。悲劇的な人生を歩んでるんですね。でもなぜか、悲劇の女性という印象が...
徳川家

平岩親吉とはどんな人?

徳川家康の家臣・平岩親吉(ひらいわ ちかよし)は、徳川十六神将の一人です。家康と同じ歳で共に育ちました。親吉は私利私欲がなく家康の信頼が高かったといわれます。そのため家康は自分の二人の息子の後見役を任したのでしょう。平岩親吉とはどんな武将だ...
徳川家

大久保忠世とはどんな人

大久保忠世(おおくぼ ただよ)は古くから徳川家康に使える家臣。徳川十六神将のひとりにあげられます。上田城での戦いでは、大敗してしまいましたが。それまでの戦いでは数々の功績をあげてきた武将でした。大久保忠世はどんな人だったのでしょうか。大久保...
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