朝ドラ『ブラッサム』に登場する左良太(ひだり りょうた)は、葉野珠が働く悠樂軒で出会った文学好きの青年です。関西弁で話す親しみやすい左は、珠とどんな関係になるのでしょうか。
左良太のモデルと考えられるのは、作家の今東光(こん とうこう)です。今東光は珠のモデルになった宇野千代が東京の洋食店で働いていたころに知り合った人物でした。
今東光はその後、小説家として直木賞を受賞し、僧侶や参議院議員も務めています。この記事では、左良太と今東光の共通点、宇野千代との関係、芥川龍之介の小説『葱』にまつわる話を紹介します。
ブラッサム左良太のモデルは今東光?
左良太のモデルは、小説家の今東光と考えられます。
ただ、左と珠が東京の洋食店で知り合う場面は、今東光と宇野千代の出会いによく似ています。
左良太は悠樂軒で珠と出会う青年
左良太を演じるのは北野秀気さんです。左は大阪から東京へ出てきた文学好きの青年で、珠が働く西洋料理店「悠樂軒(ゆうらくけん)」にやってきます。
左は店に来る編集者たちの話に耳を傾け、どんな小説が求められているのかを気にしています。自分で小説を書いている珠と知り合ったことをきっかけに、左も作家を目指すようになります。
第25回の予告では、珠は自分の書いた短編小説を編集長の黒崎大三郎に酷評されて落ち込みます。左はそんな珠に、編集長に原稿を見せた勇気をたたえる言葉をかけるようです。
左良太と今東光の共通点
左良太と今東光には、次のような共通点があります。
| 左良太 | 今東光 |
|---|---|
| 関西から東京に出てきた青年 | 関西で少年時代を過ごし、東京へ出た |
| 珠が働く悠樂軒で珠と知り合う | 千代が働く燕楽軒で千代と知り合った |
| 文学に関心があり、作家を目指す | 後に小説家となり、直木賞を受賞した |
左は大阪出身ですが、今東光が生まれたのは横浜です。今は関西学院中学部などに通った後、1915年に東京へ出ました。
そして、珠のモデルになった宇野千代が働く洋食店で、千代と知り合っています。二人の出会いは、左が悠樂軒で珠と知り合う場面を思わせます。
今東光と宇野千代の関係は?
燕楽軒で働く宇野千代と出会った
宇野千代は作家になる前、東京・本郷の西洋料理店「燕楽軒(えんらくけん)」で給仕をしていました。
燕楽軒の近くには、文芸雑誌『中央公論』を出していた中央公論社がありました。店には『中央公論』の編集者・瀧田樗陰(たきた・ちょいん)や、作家たちが訪れていました。
千代は後に今東光と知り合ったのも燕楽軒だったと語っています。珠が悠樂軒で左と出会うように、千代も働いていた店で若いころの今東光と知り合ったのです。
千代が燕楽軒で働いた期間には18日間という説もあります。短い期間の仕事でしたが千代はこの店で今東光や瀧田樗陰をはじめ、文学に関わる人たちと知り合いました。
今東光と宇野千代は恋人だった?
今東光と宇野千代は燕楽軒で知り合った後、親しくなりました。二人が恋人同士だったと紹介する資料もあります。
千代は後に、今東光と本郷の町を散歩したときのことを語っています。その散歩中の出来事が、芥川龍之介の小説『葱』のきっかけになったというのです。
二人は結婚していません。千代と今東光がどのような約束をして、いつまで交際していたのかについては、今回確認した資料からは詳しいことが分かりませんでした。
芥川龍之介の『葱』は宇野千代と今東光の話?
千代は今東光との散歩中に葱を買った
宇野千代は今東光と本郷を散歩していたとき、八百屋の店先で安い葱を見つけ、思わず買ったことがありました。
千代によると、そのとき今東光は興ざめしたそうです。今東光はこの話を芥川龍之介に話したらしく、それをもとに芥川が短編小説『葱(ねぎ)』を書いたと、千代は後に語っています。
千代が今東光と出かけた帰りにも、食事の買い物をしていた様子が伝わってくる話です。今東光が芥川に話した経緯については、千代が後年語った内容なので、その点を踏まえて読んでおきたいですね。
『葱』のお君さんと田中君
芥川龍之介の『葱』には、洋食店で働くお君さんと、彼女に好意を持つ青年の田中君が登場します。
お君さんは宇野千代、田中君は今東光を思わせる人物です。小説では二人が一緒に帰る途中、お君さんが八百屋の葱に気を取られます。
千代の回想では葱の値段は二銭ですが、小説では一束四銭と書かれています。千代の回想と小説には違いもあり、芥川が実際の出来事をそのまま書き写したわけではありません。
ドラマの秋山格之介は芥川龍之介を思わせる作家です。左と珠が知り合った後、秋山が二人とどのように関わるのかも気になりますね。
今東光とはどんな人?
今東光は宇野千代と知り合った後、小説家になりました。その後は出家して僧侶となり、再び小説を書いて直木賞を受賞。晩年には参議院議員も務めました。
横浜に生まれ、東京で作家を目指す
今東光は1898年、横浜に生まれました。関西学院中学部や兵庫県立豊岡中学校で学んだ後、1915年に上京します。
東京では後に『雪国』などを書く川端康成と知り合い、文学活動に加わりました。1925年に発表した『痩せた花嫁』は、今東光の出世作となります。
珠と知り合ったころの左良太は、これから小説を書こうとする青年です。今東光も宇野千代と出会った後、小説家として作品を発表するようになりました。
出家して僧侶になり『お吟さま』で直木賞を受賞
今東光は1930年に出家し、比叡山延暦寺で修行しました。1951年には大阪府八尾市の天台院の住職となります。
そして1957年、千利休の娘を描いた小説『お吟さま』で第36回直木賞を受賞しました。その後も、河内の人々や土地を題材にした小説を書いています。
若いころに文学を志した今東光は、僧侶になってからも小説を書き続け、多くの読者に作品を届けました。
中尊寺の貫主や参議院議員も務めた
今東光は1965年、岩手県平泉の中尊寺で貫主(かんす)となりました。貫主は寺院の住職にあたる呼び名です。
1968年には参議院議員となり、1期務めています。歯に衣着せぬ発言から「毒舌和尚」とも呼ばれた今東光は、1977年に79歳で亡くなりました。
左良太と今東光の違い
左良太は大阪出身、今東光は横浜生まれ
ドラマの左良太は大阪出身で、関西弁を話す青年です。今東光も関西で少年時代を過ごしましたが、生まれたのは横浜でした。
左と今には、関西で育った経験や文学への関心など、似ているところがあります。一方で、出身地などの設定には違いがあります。
珠と左の関係は史実どおり?
ドラマでは、左良太は悠樂軒で珠と知り合い、珠が小説を書いていることに関心を持ちます。
実際の宇野千代も、燕楽軒で今東光と知り合いました。二人は親しくなり、一緒に本郷を散歩したことを千代が語っています。
珠と左がこれからどんな関係になるのかは、放送を見て確かめたいところです。実際の千代と今東光の関係を知っていると、二人が顔を合わせる場面にも興味がわいてきますね。
まとめ
左良太のモデルは、小説家の今東光と考えられます。左が悠樂軒で珠と出会うように、今東光も燕楽軒で働いていた宇野千代と知り合いました。
千代は今東光との散歩中に葱を買った話を、後に回想しています。この出来事は芥川龍之介の短編『葱』のきっかけになったといわれています。
今東光はその後、僧侶となり、小説『お吟さま』で直木賞を受賞しました。中尊寺の貫主や参議院議員も務めた人物です。
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