あんぱん:柳井嵩のモデル やなせたかし と役を演じる北村匠海の紹介

NHK朝ドラ「あんぱん」は国民的アニメ「アンパンマン」の作者である、やなせたかしさんをモデルにしたドラマです。主人公の柳井嵩を演じるのは、人気俳優の北村匠海さん。

ドラマでは、柳井嵩と妻の小松暢の関係を軸に、アンパンマンが誕生するまでの苦悩や葛藤、そして希望が丁寧に描かれる予定です。

この記事ではドラマ「あんぱん」主人公 柳井嵩の紹介と モデルとなったやなせたかしさんの生涯を詳しく解説します。戦争、貧困、そして愛。様々な困難を乗り越え人々に勇気と希望を与え続けた、やなせたかしさんの波乱の人生をお楽しみください。

この記事を読むことで、以下のことが分かります。 
  • 朝ドラ「あんぱん」のあらすじと見どころ
  • 主人公・柳井嵩役の北村匠海さんのプロフィール
  • やなせたかしさんの生涯とアンパンマン誕生秘話
  • やなせたかしさんの作品に込められた想い 

 

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朝ドラ「あんぱん」の 柳井嵩(やない たかし)

モデルは「アンパンマン」の作者 やなせたかし 

NHK朝ドラ「あんぱん」の主人公 柳井嵩(やない たかし)は、あの国民的アニメ「アンパンマン」の作者、やなせたかし さんがモデルとなっています。

朝ドラ「あんぱん」では北村匠海さんが柳井嵩を演じます。

ドラマでの柳井嵩は幼い頃から絵を描くことや漫画が大好き。少し内向的なところもありますが、心優しい青年のようです。

物語は柳井嵩とヒロインである朝田のぶ(モデルは、やなせたかしの妻・小松暢)小松暢:朝ドラ「あんぱん」ヒロイン 朝田のぶのモデルとは?との関係を軸に展開されます。

二人はお互いに支え合い励まし合いながら様々な困難を乗り越えていきます。

ドラマでは柳井嵩が「アンパンマン」を生み出すまでの苦悩や葛藤、そして希望が丁寧に描かれるのでしょうね。

柳井嵩(やないたかし)とは?

現時点でわかっている情報をもとに柳井嵩の生涯を紹介しましょう。

柳井嵩は幼い頃に新聞社の特派員だった父を亡くし、しばらくは母の登喜子と一緒に暮らしますが。

小学生のころ伯父・柳瀬寛の家に引き取られました。

転校先の学校でヒロインの朝田のぶ(あさだのぶ)と出会います。

若いころから漫画や絵が好きで製薬会社の宣伝部に就職しますが、やがて徴兵され戦争に出ることになります。

戦後、高知県の新聞社に就職。そこでのぶと再会しました。ところがのぶが東京に向かうと嵩も彼女を追って東京に向かいます。

東京では百貨店の宣伝部での勤務を経て、のぶの後押しもあり漫画家として独立。様々な活動をしていくようです。

ドラマ「あんぱん」では

ドラマ「あんぱん」では柳井嵩とヒロインの朝田のぶ(モデルはやなせたかしさんの妻・小松暢さん)との関係を軸に物語が展開されるようです。

柳井嵩が「アンパンマン」を生み出すまでの苦悩や葛藤、そして希望が丁寧に描かれるのでしょうね。

激動の時代をのぶと生きた波乱の生涯をドラマとして大胆に再構成。登場人物名や団体名などは改称して、フィクションとして描かれます。なので史実と違う部分もあるでしょうけれど、どのようにアレンジされているのかも見どころです。

 

「あんぱん」柳井嵩 役は 北村匠海さん

2025年前期放送のNHK朝ドラ「あんぱん」。主人公の柳井嵩(やないたかし)を演じるのは人気俳優の北村匠海(きむら たくみ)さんです。

北村さんは2008年に映画「DIVE!!」で俳優デビュー!

2011年には4人組バンド「DISH//」を結成。俳優業と並行して、音楽活動も精力的に行っています。

俳優としてのキャリアも素晴らしく、2017年には映画「君の膵臓をたべたい」で第41回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど高い演技力が評価されています。

主な出演作品としては、ドラマ「仰げば尊し」「にじいろカルテ」「星降る夜に」「アンチヒーロー」、映画「東京リベンジャーズ」シリーズなど、数々の話題作に出演しています。

昨年配信された実写ドラマ「幽☆遊☆白書」では、全世界で大ヒットを記録し、北村さんの演技は世界中の人々を魅了しました。

そんな北村さんですが、実は朝の連続テレビ小説は今回が初出演となります。

今回の「あんぱん」でも、その素晴らしい演技力で柳井嵩をいきいきと演じてくれると思います。

北村匠海さんが柳井嵩をどのように演じるのか、今からとても楽しみですね。

 

やなせたかしの生涯

柳井嵩さんのモデルとなった漫画家「やなせたかし」は1919年2月6日に高知県で生まれました。漫画家、絵本作家、詩人、イラストレーター、デザイナーなど、実に多彩な才能を持っている方です。

 

本名:柳瀬 嵩(やなせ たかし)
生年月日:1919年2月6日
出身地:高知県香美郡美良布町(現・香美市)
職業:漫画家、絵本作家、詩人、イラストレーター、デザイナー
代表作:「アンパンマン」「手のひらを太陽に」など

 

父を亡くし伯父の養子に

やなせたかしさん、本名柳瀬嵩さんは、1919年高知県に生まれました。5歳の時に父親・柳瀬清を亡くし、伯父の家に引き取られましたが、子供の頃から漫画や絵が大好きでした。

東京高等工芸学校図案科を卒業後、1940年に東京田辺製薬の宣伝部に入社しますがすぐに召集令状が届き徴兵されます。

戦争経験

1941年、小倉の第十二師団に配属され、その年の12月、真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争が始まりました。1943年には中国大陸へ送られ上海、福州と各地を転戦。

飢えに苦しみ、マラリアで苦しみ、次々と仲間が倒れていきます。

1944年には弟の千尋さんがフィリピン沖で戦死するという悲しい出来事もありました。

幸いにもやなせはこの戦争で生き残り終戦を迎えました。

戦後やなせは戦争のことを語りませんでした。それは思い出したくないというより、他の人に比べれば自分の味わった苦労は大したことはない。自分が言うのはおこがましいと思っていたということです。

 

正義は逆転する

1946年、中国からの引揚船で長崎県佐世保に上陸。

やなせにとってショックだったのは敗戦によって日本の価値観は180度変わったことでした。今まで信じていたものがある日急に正反対になる。正義が悪になり、悪だと思っていたものが正義にになる。

この経験は彼の心に深い傷跡を残し「何が正義なのか」「本当に大切なことは何か」という問いを生涯問い続けることになります。

でも「正義は常に逆転する」「戦争は嫌い」「空腹も嫌い」という想いが強く渦巻くものの、これからどうすればいいのか分からず、友人に誘われ、くず鉄や空き瓶を拾って売る屑拾いを始めます。

しかしアメリカ軍の屑から拾ったカラフルな新聞や雑誌を見ていると「何かを作りたい」という気持ちが沸き上がり高知新聞社に入社しました。

小松暢との出会い

高知新聞社でたかしは後に妻となる先輩記者、小松暢さんと出会います。暢さんのたくましい姿に惹かれ、二人は結婚を意識するようになります。

しかし暢は仕事の都合で東京へ行ってしまい、やなせさんも後を追って上京します。

そして東京へ

たかしは東京では暢さんの下宿先で暮らしながら小さな図案社に勤務。生活は楽ではありませんでした。その後、日本橋三越に入社し宣伝部で働くことになります。

三越では店内の装飾や看板のデザイン三越劇場のポスターを担当。やがて下宿先を出てアパートを借り暢さんと二人で暮らし始めます。ボロアパートでしたが二人はささやかな幸せを感じていました。

三越包装紙の新デザイン誕生に立ち会う

この頃、三越の包装紙のデザインを新しくすることになりデザイナーの猪熊弦一郎さんに依頼。宣伝部にいたやなせさんは、そのデザインを受け取りに行きました。

斬新すぎるデザインに戸惑いますが猪熊さんの指示に従って「Mitsukoshi」の文字を書き込み仕上げてみると素晴らしい包装紙が出来上がりました。

このデザインは「華ひらく」と呼ばれ今でも使われています。

 

そして漫画家を目指す

三越での仕事をする傍ら、やなせさんは「独立漫画家派」というグループに所属し漫画家を目指します。グループを通して少しずつ仕事は増えるものの独立できるほどの成功ではありませんでした。

 

会社に嫌気、独立を目指す

そんな時、三越で労働争議が起こります。ストライキを破るための会社の妨害工作や労働組合の指導に来たプロの左翼活動家の傲慢な態度にやなせは嫌気がさし「やはり正義は曖昧だ」と会社にいるのが嫌になりました。

暢さんの後押しもあり三越を退社。漫画家としての収入が少しずつ増えていたことも退社の理由でした。

 

独立・困ったときのやなせさん

たかしは専業の漫画家として独立。「漫画集団」に所属し少しずつ仕事も増えていきましたが代表作と呼べるものはまだありませんでした。

手塚治虫の衝撃

そんな中、漫画業界では手塚治虫が登場。短編が主流だった漫画界はストーリー性の高い長編漫画が主流となります。

短編を得意としていたたかしは時代に取り残されたような感覚を覚えながらも芸能人インタビューなど雑誌の仕事を引き受け細々と生活を繋いでいきました。

 

スターの宮城まり子からの依頼

ある日、大スターの宮城まり子からリサイタルの構成を依頼されます。やなせたかしはステージ構成の経験はなかったものの、依頼を引き受けました。ステージは大成功を収めこの仕事をきっかけに宮城まり子さんのステージ構成や脚本、時には司会まで務めるようになりました。

宮城まり子CD(出典:楽天市場)

宮城まり子CD(出典:楽天市場)手のひらを太陽に 他

 

永六輔の舞台を手掛けてテレビ業界で活躍

その後、永六輔に呼ばれ舞台「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術デザインを依頼されます。これも初めての経験でしたが見事に成功させ永六輔さんの舞台を手伝うようになりました。

この頃からやなせは演出、脚本、作詞も手がけるようになりテレビ番組の構成や企画も担当するなど仕事の幅を広げていきました。

 

「手のひらを太陽に」誕生

しかし、漫画家としては成功せず、仕事が減っていく一方でした。業界では「何でもできる便利な人間」として知られるようになり、漫画家としては終わった人間と思われることもありました。収入はそれなりにありましたが、自分が本当にしたいことはこれなのかという疑問を抱えていました。

そんな時、夜に懐中電灯を手のひらに当ててみたところ、手のひらが光に透けて鮮やかな赤い色が見えたことに感動し、その感動を詩にしたのが「手のひらを太陽に」でした。この曲は、宮城まり子さんが歌い、音楽の教科書にも載る有名な曲となりました。

 

テレビドラマの脚本を手掛ける

1964年、映画監督の羽仁進に呼ばれ、新しく開局する東京12チャンネル(テレビ東京)のテレビドラマの脚本を依頼されます。

テレビ映画の脚本は初めてでした。でも羽仁さんの熱意に押され引き受けます。

最初は脚本がボツになるなど苦労しましたが、羽仁さんの指導を受けながら脚本を完成させ、「ハローCQ」というホームドラマを制作。この経験は、物語作りの良い勉強となりました。

 

子供向け作品で注目

その後、NHK「まんが学校」に出演し、絵描き歌のコーナーを担当。子供たちに「まんが学校の先生」として親しまれるようになり、子供向けのイラストという新たなジャンルで注目を集めることになります。

 

やはり漫画家での成功を目指すものの

漫画家としての成功を目指し「ミスター・ボオ」という漫画を描き、懸賞漫画でグランプリを獲得しますが、プロの漫画家仲間からは冷やかされてしまいます。

 

やさしいライオン

そんな中「ラジオドラマの台本が間に合わない、翌朝までに作ってほしい」という依頼が舞い込みました。

業界では「困ったときのやなせさん」と呼ばれ、このような無茶な依頼も来るのです。

たかしは注文通り一晩で「やさしいライオン」を書き上げ無事に放送されます。

その数か月後、手塚治虫から電話がありアニメ作品のキャラクターデザインを依頼され大人向けアニメ「千夜一夜物語」を手がけ大ヒットを記録します。でも制作費がかかりすぎたので虫プロとしては赤字でした。

でも手塚治虫は大ヒットのお礼として虫プロで短編アニメを作らせてもらえることになり「やさしいライオン」をアニメ化。高い評価を受け絵本にもなり、やなせたかしさんの代表作の一つとなりました。

やさしいライオン

やさしいライオン(出典:楽天市場)

 

サンリオから「詩とメルヘン」を創刊

キャラクターグッズ大手サンリオの前身「山梨シルクセンター」時代からやなせたかしさんは同社と縁があり、辻信太郎社長の提案で詩集を出版。

メルヘンチックな詩集は女性の間で話題となりました。

その後、サンリオから詩の雑誌「詩とメルヘン」を創刊し大ヒットさせます。

 

「アンパンマン」誕生

1960年代にはコントに「あんぱんまん」が登場。

1969年には「PHP」に童話として発表。この頃から「正義とは何か」という問いを込め、お腹を空かせた子供たちにアンパンを配るヒーローとして描かれました。

でもこのときは丸顔の人間として描かれています。

1973年。フレーベル館から絵本「あんぱんまん」を出版。

初期のあんぱんまん

初期のあんぱんまん

顔がアンパンでできている。困っている人に自分の顔を分け与える。与えると顔が亡くなってしまう。という斬新な設定でしたが、大人たちからは酷評されます。

「詩とメルヘン」で「怪盗アンパンマン」として連載を始め、ミュージカル化もされましたが、当時は話題になりませんでした。

しかし幼稚園への直販で子供たちの間で人気が広がり、1975年に「それいけ!アンパンマン」として再出版。

その後、アニメ化され昭和から平成にかけて国民的アニメとなりました。

アニメ「アンパンマン」

アニメ「アンパンマン」(出典:楽天市場)

 

妻・暢との別れ

やなせたかしさんが70歳の頃、妻・暢さんが末期の乳がんと診断されます。

やなせさんは出来る限りのことをし一時的に体調が回復したものの、1993年11月23日に暢さんは他界。

悲しみに暮れるやなせさんでしたが、仕事に打ち込むことで悲しみを紛らわせました。

 

やなせたかしの最後

暢さんの死後、故郷の高知に「やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム」を開館。その後も精力的に活動を続けました。

90歳ごろになると引退を考えましたが、2011年の東日本大震災を受け引退を撤回。被災地への支援活動を積極的に行いました。

晩年は肺炎などを患いながらも子供たちに夢と希望を与え続け、2013年10月13日に94歳で永眠しました。

 

まとめ

NHK朝ドラ「あんぱん」の主人公 柳井嵩のモデルは、国民的アニメ「アンパンマン」の作者 やなせたかしさんです。

ドラマでは北村匠海さんが柳井嵩を演じます。

やなせたかしさんは、漫画家、絵本作家、詩人、イラストレーター、デザイナーなど、多彩な才能を持つ人物です。戦争での体験や妻の小松暢さんとの出会いなど彼の人生は波乱に満ちたものでした。

ドラマ「あんぱん」ではやなせたかしさんが「アンパンマン」を生み出すまでの苦悩や葛藤、そして希望が丁寧に描かれる予定です。史実と異なる部分もあると思いますが。どのようにアレンジされているのかも見どころですね。

 

参考文献

 

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