宇野千代の夫は誰?4回の結婚と東郷青児との関係

宇野千代は「恋多き作家」として知られ、私生活では4回の結婚を経験したといわれます。

結婚相手は藤村亮一、藤村忠、作家の尾崎士郎、作家の北原武夫の4人です。さらに洋画家の東郷青児とも数年間一緒に暮らしました。

この記事では、宇野千代と4人の男性、そして夫にはならなかった東郷青児との関係を紹介します。

この記事で分かること

  • 宇野千代が「4回結婚した」とされる理由
  • 藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫との関係
  • 東郷青児が夫ではなかった理由と二人の生活
  • 恋愛や結婚が宇野千代の作品や仕事にどう関わったのか
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宇野千代の4人の夫とは?東郷青児は夫ではない

宇野千代の結婚歴は、1911年の藤村亮一への嫁入りから始まります。

1919年に藤村忠と結婚し、1924年に離婚。同じ年に小説家の尾崎士郎と結婚しました。
尾崎士郎との結婚は1930年に終わります。

その1930年、宇野千代は洋画家・東郷青児への取材をきっかけに一緒に暮らすようになりました。東郷との生活は1934年まで続きましたが、二人は結婚していません。

その後、宇野千代は1936年に雑誌『スタイル』を創刊し、編集に参加した作家・北原武夫と親しくなります。1939年に北原と結婚し、1964年に離婚しました。

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1人目の藤村亮一とは?14歳で嫁入りして10日で実家へ

宇野千代が最初に嫁いだ相手は藤村亮一です。

1911年、宇野千代は14歳でした。父・俊次の命令で従兄の藤村亮一のもとへ嫁ぎました。しかし結婚生活は続かず、10日で実家へ戻っています。

この結婚は、後の尾崎士郎や北原武夫との結婚とは事情がかなり違います。14歳の千代自身が恋愛の末に選んだ相手ではなく、父の意向による嫁入りでした。

また宇野千代の結婚回数についてはいくつか考え方があり、藤村亮一を最初の夫としない場合もあります。

それもこの藤村亮一との10日間にあります。たった10日で終わった藤村亮一との関係を結婚として認めず。次に紹介する藤村忠を「最初の夫」とする場合もあります。

藤村亮一へのの嫁入りを正式な夫婦生活として数えるかどうかで結婚した回数や誰が最初の夫かが変わってくるのですが。

期間の短さや本人の意思はともかく、当時の感覚では千代と藤村亮一は一時的にしろ夫婦になったといえるのではないでしょうか。

2人目の藤村忠とは?札幌時代に小説家として活動を始める

宇野千代の二人目の夫は藤村忠です。彼は藤村亮一の弟。宇野千代が19歳だった1916年に京城から日本へ帰った千代は、京都にいた忠を頼り、一緒に暮らし始めました。

翌1917年、忠が東京帝国大学へ進学すると千代も東京へ移ります。千代は雑誌社の事務や家庭教師などの仕事をして生活していました。1919年に二人は結婚、翌1920年には忠の北海道拓殖銀行への就職に伴って札幌へ移りました。

札幌にいた1921年、千代は『時事新報』の懸賞短編小説に『脂粉の顔』を応募して一等に選ばれました。このとき二等だったのが尾崎士郎です。

翌1922年、千代は札幌から東京へ出ました。『中央公論』に発表された『墓を発く』の原稿料を受け取った後、再び上京し尾崎士郎と出会います。その後、尾崎が宿泊していた菊富士ホテルへ移りました。

藤村忠との離婚が成立したのは1924年です。千代が尾崎と生活を始めた後も、藤村忠との婚姻関係はしばらく続いていました。

藤村忠との結婚期間には札幌への移住、『脂粉の顔』の懸賞当選、東京での作家活動開始という出来事がありました。宇野千代が職業作家になる転機となった時期といえます。

3人目の尾崎士郎とは?馬込で暮らした作家夫婦

尾崎士郎は後に『人生劇場』で広く知られる小説家です。
宇野千代と尾崎士郎が知り合うきっかけになったのは、1921年の『時事新報』懸賞小説でした。千代の『脂粉の顔』が一等、尾崎の作品が二等に選ばれています。翌1922年に二人は直接会いました。

結婚が成立する前の1923年には宇野千代と尾崎士郎は知人の紹介で東京の馬込に土地を購入、農家の納屋をタダ同然の値段で購入して移築、自分達の住まいとしました。

当時の馬込には作家や画家が多く住み、後に「馬込文士村」と呼ばれるようになります。宇野千代と尾崎士郎も、そこで多くの文学者や芸術家と交流しました。

1924年に藤村忠との離婚が成立すると、千代は尾崎と結婚します。

ところが二人の関係は次第に悪化。1929年には別居するようになり、1930年に離婚が成立しました。

そして尾崎との結婚が終わる時期に、宇野千代は東郷青児と知り合います。

東郷青児は宇野千代の夫だった?取材をきっかけに同棲

宇野千代の恋愛相手として特に有名なのが洋画家の東郷青児です。
でも東郷は宇野千代とは婚姻関係を結んでいません。なので夫とはいえませんが、二人は1930年から1934年まで一緒に暮らしていました。

出会いのきっかけは小説の取材でした。
宇野千代は当時、『報知新聞』で新聞小説を連載していました。その作品にガス中毒の場面を書くため、情死未遂事件で世間の注目を集めていた東郷青児を訪ねます。その取材をきっかけに二人は親しくなり、一緒に生活するようになりました。

1931年には東京・世田谷の淡島にアトリエ付きの家を建てています。同じ年に刊行された宇野千代の『大人の絵本』では、東郷が装幀と挿絵を担当しました。二人は私生活を共にしただけでなく、本の制作でも協力していたことが分かります。

1934年、東郷は以前に情死未遂事件を起こした女性と再び交際するようになり、宇野千代とは完全に別居しました。その年、東郷はその女性と結婚しています。
東郷との生活は約4年間でした。

東郷青児から聞いた話をもとに『色ざんげ』を書く

宇野千代は東郷青児と暮らしていた時期に東郷本人から過去の恋愛や情死事件について話を聞いていました。

その話をもとに書いたのが『色ざんげ』です。宇野千代自身も後年、東郷青児から聞いた情死事件の話を自分なりの物語にして書いた作品だと説明しています。

『色ざんげ』は1933年に『中央公論』で連載が始まり、1935年に単行本になりました。主人公はパリ帰りの若い画家で東郷青児がモデルです。

宇野千代はその後も東郷青児を題材にして『未練』『この白粉入れ』『或る男の断面』などを書いています。東郷と別れた後も、一緒に暮らしていた時期の出来事や東郷から聞いた話を作品として発表していたのです。

 

原武夫とは?約25年間続いた最後の結婚

東郷青児と別れた後、宇野千代は出版事業にも力を入れるようになります。
1936年にスタイル社を設立、ファッション誌『スタイル』を創刊しました。翌1937年、『スタイル』の編集に参加したのが作家の北原武夫です。この時期に二人の関係が深まり、1939年4月1日、宇野千代と北原武夫は結婚しました。帝国ホテルで披露宴を行い、小石川に新居を構えています。
北原との結婚生活では、夫婦が出版事業でも協力しました。戦時中にいったん解散したスタイル社を1946年に再建、北原が社長、千代が副社長となります。『スタイル』も復刊されました。

1949年には「宇野千代きもの研究所」を設立。小説だけでなく、雑誌出版や着物の仕事にも活動範囲を広げています。

しかしスタイル社は1950年代に経営上の問題を抱え、1959年に倒産しました。北原との夫婦関係も悪化し、1964年に離婚します。

1939年の結婚から1964年の離婚まで約25年です。藤村忠、尾崎士郎、東郷青児との生活と比べても、北原武夫とは長い年月を共にしました。

北原とは家庭生活だけでなく、雑誌の編集、会社経営、戦後の事業再開にも一緒に取り組んでいます。宇野千代の人生に大きな影響を与えた人物と言えます。

北原武夫との生活も小説の題材にする

北原武夫との結婚生活も宇野千代は後に小説の題材にしました。

1963年から発表した『刺す』は、宇野千代と夫・北原武夫との結婚生活をもとにした自伝的小説です。

二人は戦後にスタイル社を再建して一時は『スタイル』が大きく売れました。しかし1950年代に会社の経営が悪化して1959年に倒産します。残った借金を返すため、自宅や別荘なども手放しました。

北原は1951年に女優の久下慧子と知り合い、宇野千代との離婚後の1965年に久下と再婚しています。宇野千代と北原は1964年に離婚しました。『刺す』ではこうした会社経営と北原との結婚生活を題材にして、主人公の「私」が夫との関係や自分が経営する会社の経営難などを語る形で物語が進んでいきます。

朝ドラ『ブラッサム』では宇野千代の夫たちはどう描かれる?

朝ドラ『ブラッサム』では、宇野千代をモデルにした葉野珠の結婚や恋愛も描かれます。史実の宇野千代と同じ名前は使わず、夫や恋人にあたる男性も別の名前で登場します。

藤村亮一 → 木村亨一

役者は不明。

宇野千代が14歳で嫁いだ藤村亮一にあたるのが、珠の従兄・木村亨一です。史実では宇野千代は父に命じられて従兄の藤村亮一に嫁ぎましたが、10日ほどで実家へ帰りました。ドラマでも木村亨一は珠の最初の結婚相手として設定されています。

藤村忠 → 木村保

演:金子大地

その弟・木村保を演じるのは金子大地さんです。保は珠の叔母・木村照子の次男で、珠の従兄という設定です。 史実の藤村忠も宇野千代の従兄であり、最初に嫁いだ藤村亮一の弟でした。木村保と藤村忠はこの家族関係が一致し、学業に優れた青年という設定にも共通点があります。

ブラッサム:木村保(金子大地)のモデルは宇野千代の2番目の夫 藤村忠
朝ドラ『ブラッサム』の木村保のモデルは誰?珠のいとこで最初の夫・木村亨一の弟という設定から、宇野千代の従兄で2人目の夫となった藤村忠との共通点を紹介。三高、帝大、文通、結婚まで史実とドラマを比べます。

尾崎士郎 → 西尾一路

演:染谷将太

3人目の夫の尾崎士郎はドラマでは染谷将太さんが演じる小説家・西尾一路として登場します。西尾は新進気鋭の小説家で、珠と同じ出版社に出入りするうちに知り合い、互いに小説を書く者として関わるようになります。

東郷青児 → 夏井銀児

演:錦戸亮

尾崎士郎との離婚後に宇野千代が一緒に暮らした東郷青児は、錦戸亮さんが演じる洋画家・夏井銀児として登場します。

夏井銀児は、珠が取材する洋画家として登場します。史実でも宇野千代は小説を書くために東郷青児を取材してその後二人は一緒に暮らしました。

史実では宇野千代と東郷青児は婚姻届を出していないのめ夫婦とは言われませんが。ドラマでも夏井珠と深く関わる洋画家として紹介されていて、夫になるとは書かれていません。

北原武 → ?

最後の夫・北原武夫については、2026年10月2日現在では公表されている主要キャストの中に北原武夫らしき人物は見当たりません。今後、ドラマが進行すると新しく発表するものと思われます。発表され次第、こちらの記事でも紹介します。

 

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