NHK連続テレビ小説『ブラッサム』に登場する夏井銀児(なつい ぎんじ)は、錦戸亮さんが演じる洋画家です。主人公の葉野珠(はの たま)が取材を通じて出会い、その後の人生にも深く関わっていく人物です。
夏井銀児のモデルは、大正から昭和にかけて活躍した洋画家・東郷青児(とうごう せいじ)です。東郷は19歳で二科賞を受賞し、フランス留学を経て独特の女性像を描くようになりました。私生活では作家の宇野千代と約4年間一緒に暮らし、宇野の代表作『色ざんげ』にも関わっています。
この記事では、夏井銀児のドラマでの設定と東郷青児の経歴、宇野千代との関係、小説『色ざんげ』が生まれた経緯を紹介します。
ブラッサム 夏井銀児のモデルは東郷青児
連続テレビ小説『ブラッサム』に登場する洋画家・夏井銀児のモデルは大正から昭和にかけて活躍した洋画家の東郷青児(とうごう せいじ)です。
夏井銀児を演じるのは錦戸亮さん。錦戸さんが朝ドラに出演するのは、2003年度の『てるてる家族』以来23年ぶりになります。
夏井銀児は自由奔放で何を考えているのか分からないところがある人物です。珠は彼の言動に振り回されながらも作家として小説を書くうえでの新しい手がかりを得ることになります。
夏井銀児はどんな人物?
葉野珠が取材する洋画家
夏井銀児は独自の画風で注目される洋画家です。主人公の葉野珠は取材を通じて銀児と出会います。
銀児は常識にとらわれず、自分の思うままに行動する人物です。珠はそんな銀児に戸惑いながら彼との出会いによって文章を書くことについて新しい考え方を知ることになります。
モデルの東郷青児も従来の絵画にとらわれない作品を描いた画家でした。女性との恋愛でも世間を騒がせ、宇野千代との出会いにも心中未遂事件が関係しています。
妻・早苗と元恋人・澄子
夏井銀児の周囲には、妻の早苗と元恋人の澄子が登場します。
早苗(谷村美月)
早苗は銀児の妻で、夫とは別々に暮らしながら息子を育てています。銀児との夫婦関係には問題を抱えていますが、母親として子供を育てるために懸命に生きている女性です。
澄子(藤原さくら)
澄子は銀児の元恋人で、かつて銀児との恋愛騒動によって世間を騒がせた女性です。
澄子を演じる藤原さくらさんは、役作りのために宇野千代の『色ざんげ』を読んだと明かしています。
実際の東郷青児にも妻や恋人がいて、1929年には交際していた女性と心中未遂事件を起こしました。ドラマで銀児と二人の女性がどのような関係にあるのかは、東郷青児の実際の恋愛事情と比較したいところです。
東郷青児とは?生涯と画家としての活動
東郷青児(とうごう せいじ、1897~1978年)は、大正から昭和にかけて活躍した洋画家です。本名は東郷鉄春(てつはる)といいます。
1897年(明治30年)4月28日に鹿児島県で生まれ、若いころから絵の才能を発揮しました。
細長い首や大きな目をした女性を、やわらかな曲線と淡い色彩で描いた作品が有名です。絵画だけでなく、雑誌の表紙や書籍の装幀、洋菓子店の包装紙などのデザインも手掛けました。
19歳で二科賞を受賞
東郷青児は1915年(大正4年)、18歳で日比谷美術館にて初めての個展を開催しました。このころ画家の有島生馬と知り合い、絵画の指導を受けるようになります。
翌1916年(大正5年)には、第3回二科展に『パラソルさせる女』を出品し、19歳で二科賞を受賞しました。
二科展とは、1914年に結成された二科会が開催する美術展覧会です。当時の官設展覧会である文展の審査方針に不満を持った画家たちが、新しい作品を発表するために始めました。
東郷が描いた『パラソルさせる女』も人物の形を大胆に変形させた当時としては珍しい作品でした。
19歳の新人が初出品で二科賞を受賞したのですから、東郷は早くから絵の才能を認められていたのですね。
フランスに7年間留学
東郷青児は1921年(大正10年)24歳でフランスへ渡りました。1928年(昭和3年)に帰国するまで約7年間、ヨーロッパで絵画を学んでいます。
渡欧当初はイタリアの未来派運動に参加しました。未来派とは、機械やスピードなど近代社会の新しいものを積極的に描こうとした芸術運動です。
その後はパリを中心に活動し、パブロ・ピカソらとも交流しました。美術館で昔のヨーロッパ絵画を研究する一方で装飾やデザインの仕事にも携わりました。
1928年に日本へ帰国するとフランスで制作した作品23点を二科展で発表しています。海外で学んだ技法を生かしながら、日本でも絵画の制作を続けました。
「青児美人」と呼ばれた女性像
帰国後の東郷青児は独特の女性像を描く画家として知られるようになりました。
東郷の描く女性は首が長く、顔や体がやわらかな曲線で描かれているのが特徴です。目や鼻などの細かな描写を控え、淡い青や灰色などを使って、どこか寂しげな表情の女性を描きました。
こうした女性像は「青児美人」と呼ばれ、多くの人に親しまれました。代表作には『超現実派の散歩』『望郷』『花束』などがあります。
東郷の女性像は絵画展だけでなく、雑誌の表紙や商品パッケージにも使われました。そのため、美術館に行かない人でも東郷の絵を目にする機会があったのです。
洋菓子店「モンブラン」の包装紙もデザイン
東郷青児は絵画の制作に加え、商業デザインの仕事も数多く手掛けました。
その代表的な仕事が、東京・自由が丘の洋菓子店「モンブラン」の包装紙です。
モンブランの創業者・迫田千万億(さこだ ちまお)と東郷は、ともに鹿児島県出身でした。二人は親しく付き合うようになり、迫田が東郷に包装紙のデザインを依頼しました。こうして東郷が描いた女性の絵は、モンブランの包装紙や菓子箱に使われるようになりました。
東郷はほかにも洋菓子店の包装紙や、書籍の装幀、雑誌の表紙、挿絵などを制作しています。
東郷の描いた女性像は、美術館に飾られるだけでなく、人々が日常で使う品物にも広く使われていたのです。
二科会会長に就任
東郷青児は1931年(昭和6年)に二科会の会員となり、その後も二科展を中心に活動しました。
戦後は二科会の再建にも参加し、1957年(昭和32年)には日本芸術院賞を受賞しています。1961年(昭和36年)には二科会会長に就任しました。
晩年まで絵を描き続けましたが、1978年(昭和53年)4月25日、熊本で亡くなりました。80歳でした。
東郷青児と宇野千代はどんな関係だった?
東郷青児と宇野千代は1930年(昭和5年)ごろから1934年(昭和9年)まで、約4年間一緒に暮らしました。
二人は結婚していません。
宇野千代はそれ以前に作家の尾崎士郎と結婚していましたが、1930年に離婚した後は東郷と暮らすようになりました。
心中未遂事件の取材がきっかけで出会う
二人が親しくなるきっかけになったのは、1929年(昭和4年)に東郷青児が起こした心中未遂事件でした。
当時、東郷は交際していた女性と心中を図りましたが、二人とも命を取り留めました。この事件は新聞でも報じられ、世間を騒がせました。
宇野千代は事件を知ると、東郷本人から詳しい話を聞きたいと考え、取材に訪れます。この取材がきっかけに二人は親しくなり、1930年には一緒に暮らし始めました。
宇野千代は当初、東郷の心中未遂事件を小説の題材にするつもりでした。しかし、取材相手だった東郷と恋愛関係になり、約4年間も一緒に暮らすことになったのです。
世田谷の淡島にアトリエ付きの家を建てる
1931年(昭和6年)、二人は東京・世田谷の淡島にアトリエ付きの家を建てました。
アトリエとは画家が絵を描くための仕事場です。東郷はここで絵を描き、宇野は小説の執筆を続けました。
この家は当時としては珍しいモダンな建物でフランスの建築家ル・コルビュジエの建築を思わせる造りだったといいます。
世田谷文学館には、二人が淡島の家で使っていたドイツ製のコーヒーカップセットが残されています。
また、東郷が心中未遂事件を起こした相手の女性が使っていたおしろい入れも、宇野千代が持っていました。
宇野はそのおしろい入れを東郷と暮らすようになってからも使い続けていたのです。
1934年に別居し、東郷は以前の交際相手と結婚
宇野千代と東郷青児の同棲生活は1934年(昭和9年)に終わりました。
東郷が以前に心中を図った女性と再び親しくなったことが、別れる原因になったとされています。
宇野は東郷と暮らしていた淡島の家を離れ、四谷区大番町へ引っ越しました。
同じ年、東郷は以前の交際相手だった女性と結婚しています。
宇野と東郷は約4年間一緒に暮らしましたが、最後まで正式な夫婦にはなりませんでした。
別れた後も『スタイル』の題字を担当
宇野千代と東郷青児は1934年に別れましたが、その後も仕事で関わっています。
1936年(昭和11年)6月、宇野千代はファッション雑誌『スタイル』を創刊しました。
『スタイル』は日本初の本格的なファッション雑誌として知られています。洋服や着物、流行の装いなどを紹介し、多くの女性に読まれました。
創刊号の表紙を描いたのは、フランスでも活躍した画家の藤田嗣治(ふじた つぐはる)です。そして、雑誌名の「スタイル」という題字を担当したのが東郷青児でした。
宇野は東郷と別れた後も、その絵やデザインの才能を認めていて、自分の雑誌の仕事を依頼したのですね。
『色ざんげ』は東郷青児の話から生まれた小説
宇野千代の代表作『色ざんげ』は、東郷青児から聞いた恋愛体験や心中未遂事件をもとに書かれた小説です。
宇野は東郷と一緒に暮らしていたころ、彼の過去の恋愛や女性との関係について話を聞きました。その話をもとに執筆した作品が『色ざんげ』です。
東郷青児の恋愛体験を小説にした
『色ざんげ』は画家である主人公が過去の恋愛や心中未遂事件について語る小説です。
主人公の画家には東郷青児がモデルになっていて、彼が実際に経験した出来事が作品の題材になっています。
東郷は女性との恋愛で何度も騒動を起こし、1929年には心中未遂事件まで起こしていました。宇野千代はそうした東郷の体験を詳しく聞きいて小説を書いたのです。
ただし『色ざんげ』は東郷の話をそのまま書いた作品ではなく、宇野は実際の出来事をもとに構想を膨らませた架空の話として書いています。
1933年から『中央公論』で連載
『色ざんげ』は1933年(昭和8年)9月から文芸誌『中央公論』で連載が始まりました。
連載は1935年(昭和10年)3月まで続き、同じ年に中央公論社から単行本が出版されています。
宇野が『色ざんげ』を書き始めた1933年には、まだ東郷と一緒に暮らしていました。そして1934年に二人は別居し、1935年に小説が完成しています。
『色ざんげ』は宇野千代の初期の代表作となり、現在でも彼女の小説を紹介する際によく取り上げられる作品です。
まとめ
『ブラッサム』で錦戸亮さんが演じる夏井銀児のモデルは、大正から昭和にかけて活躍した洋画家・東郷青児です。
東郷は19歳で二科賞を受賞し、約7年間のフランス留学を経て、独特の女性像を描く画家となりました。その作品は絵画展だけでなく、洋菓子店の包装紙や雑誌の表紙などにも使われています。
私生活では1929年に心中未遂事件を起こし、その後、取材に訪れた宇野千代と約4年間一緒に暮らしました。
二人は1934年に別れましたが、東郷から聞いた恋愛体験は宇野の小説『色ざんげ』の題材となりました。また、別れた後も東郷は宇野が創刊した雑誌『スタイル』の題字を担当しています。
ドラマで描かれる夏井銀児と葉野珠の関係にも、宇野千代と東郷青児のこうした実際の出来事が取り入れられています。
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