『ブラッサム』第2週「父からの、解放」では、高等女学校に通う珠が友人たちと同人誌を作り、父の決めた相手と結婚します。しかし、結婚生活は三日も続かず、実家へ帰ることに。さらに父・清治が病に倒れ、珠は父との別れを経験します。
珠のモデルとなった宇野千代も、父に命じられて従兄と結婚し、わずか十日で実家へ帰っています。父が包丁を持って家の外へ出た出来事も、千代が後年に書いた回想に登場します。
珠の結婚や女学生時代の執筆活動、父の最期は、実際の宇野千代の経験とどこが同じで、どこが違うのでしょうか。第2週のあらすじとともに紹介します。
ブラッサム第2週「父からの、解放」のあらすじ
初回放送日:2026年10月5日(月)第6回〜10月9日(金)第10回。
女学校の友人たちとの同人誌づくり
大正2年(1913年)、珠は高等女学校の4年生になりました。当時の女学校では、将来よい妻や母になるための教育が行われていました。
幼なじみの梅は家の店を手伝いながら、女学校に通う珠をうらやましく思っています。一方、珠や同級生の角田忍たちは、女性は結婚して家庭に入るものだという考えに納得できずにいました。
そこで忍は自分たちの考えを文章にして発表しようと同人誌づくりを提案します。珠、忍、森岡稲子、橋本タエの4人は作品を持ち寄り、同人誌「黎明」を完成させました。
忍は女性の地位についての論文を書き、珠は『イワンの馬鹿』の主人公を女性にした小説を発表します。同級生たちにも好評だったため、4人は次の号も作ろうとしますが、学校側が内容を問題にしました。活動を続ければ退学にすると告げられ、4人は「黎明」の発行をあきらめることになります。
父が決めた縁談と実家への帰宅
そのころ、父の清治は本家から金の援助を断られていました。弟の清重にも金を頼みますが、こちらも断られてしまいます。腹を立てた清治は料理屋で騒ぎを起こし、警察に連れていかれました。
珠が迎えに行っても、清治に反省する様子はありません。しかも清治は珠に相談することなく結婚相手を決めてしまいます。
相手は珠の実母の妹・木村照子の長男、亨一でした。珠は父の決定に従いますが、忍は父に逆らおうとしない珠を責めて二人は仲違いしてしまいます。
こうして珠は亨一と結婚しますが、夫は毎晩花街へ出かけ、珠と一緒に過ごすこともありませんでした。結局、珠は三日もたたないうちに嫁ぎ先を出て、実家へ帰ってしまいます。
珠は清治に謝りますが、父は短い返事をするだけ。いつもなら怒鳴りつける清治が何も言わないのでした。
清治の死と「黎明」の再開
清治は病に倒れ珠とリョウが看病を続けますが、容体は悪くなるばかりでした。
ある日、清治は自分と同じ姿をした幻を見て、包丁を持ったまま家の外へ飛び出してしまいます。珠が父と向き合うと、清治は包丁を手放し、「死にたくない」と繰り返しました。
やがて清治は亡くなります。
珠は父の最期の言葉を思い出しながら、父が亡くなってせいせいしている自分を責めます。そんな珠の気持ちを、リョウは責めずに受け入れました。
年が明けると、珠は弟妹たちに物語を読み聞かせ、梅に誘われて羽根つきを楽しみます。
さらに珠は忍たちに「黎明」をもう一度作ろうと提案しました。友人たちも賛成し、4人は思い思いの服装で写真館へ出かけます。
これまで父の命令に従ってきた珠ですが、父の死後は、自分のやりたいことを自分から口にするようになりました。
第2週の登場人物
葉野珠(はの たま)
演:石橋静河。モデル:宇野千代。
第2週から石橋静河さんが本格的に登場します。高等女学校4年生になった珠は、忍たちと同人誌「黎明」を作り、小説を発表しました。
父の決めた相手と結婚しますが、夫が毎晩花街へ出かけるため、三日もたたずに実家へ帰ります。その後、父の病と死を経験し、友人たちに同人誌の再開を提案しました。
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葉野清治(はの きよじ)
演:渡部篤郎。モデル候補:宇野俊次。
珠の父です。本家から金の援助を断られ、弟の清重にも頼みますが、断られてしまいます。
珠の結婚相手を勝手に決めた清治ですが、その後、病に倒れてしまいました。最期には包丁を持って家の外へ飛び出し、珠の前で「死にたくない」と訴えます。
普段は家族を怒鳴りつけ、命令に従わせていた清治が、死を目前にして取り乱す姿が描かれました。
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葉野リョウ(はの りょう)
演:国仲涼子。モデル候補:宇野リュウ。
珠を幼いころから育ててきた継母です。嫁ぎ先から戻った珠とともに清治の看病を続けました。
清治の死後、珠は父が亡くなってせいせいしていると打ち明けますが、リョウはそんな珠を責めませんでした。
正月には、外へ遊びに行こうとする子供たちを送り出します。
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角田忍(かくた しのぶ)
演:木竜麻生。
珠の女学校の同級生です。女性が結婚して家庭に入ることを当然とする考えに疑問を持ち、同人誌「黎明」の制作を提案しました。自身も女性の地位についての論文を発表しています。
父が決めた結婚に従う珠を責め、仲違いしてしまいますが、週の終わりには珠からの同人誌再開の提案に賛成しました。
岩田梅(いわた うめ)
演:松本穂香。
珠の幼なじみで、商店「岩田屋」の娘です。家の店を手伝いながら、女学校に通う珠をうらやましく思っています。
正月には珠と弟妹たちを羽根つきに誘いました。その際、自分も親が持ってきた縁談で結婚することになったと珠に話します。
木村照子(きむら てるこ)
演:山田真歩。
珠の実母の妹で、珠の叔母です。
長男の亨一が遊び歩いていることに困っていました。亨一も結婚すれば遊び歩くことをやめるだろうと考え、珠を嫁に迎えます。しかし、結婚後も亨一は花街通いを続け、珠は実家へ帰ってしまいました。
木村亨一(きむら きょういち)
演:小堀正博。
照子の長男で、珠のいとこです。
清治が決めた縁談で珠と結婚しますが、毎晩花街へ出かけ、珠と一緒に過ごす時間はありませんでした。
そのため、珠は三日もたたないうちに実家へ帰ってしまいます。
第2週の出来事と史実との違い
珠の嫁入りと宇野千代の「十日間の結婚」
珠は父が決めた相手と結婚し、三日もたたずに実家へ帰ってしまいました。
実際の宇野千代にも、父の命令で従兄と結婚し、短期間で実家へ帰った経験があります。
宇野千代生家の年譜によると、千代が従兄の藤村亮一に嫁いだのは1911年(明治44年)。女学校に通っていたころのことで、結婚生活はわずか十日間でした。
ドラマでも珠は父の命令で結婚しますが、1913年の女学校4年生の出来事として描かれています。結婚した時期と実家へ帰るまでの日数は、史実とは違います。
では、千代はなぜ十日で嫁ぎ先を出てしまったのでしょうか。
千代は後年『生きて行く私』で当時の暮らしを振り返っています。
嫁ぎ先では夫が夜に出かけても家族はとがめず、食事のときには大きな食卓を囲んでにぎやかに笑っていました。
父の命令に従い食事中も静かにしていた千代には、そのような家庭の習慣になじめなかったのです。
そして、ある日の学校帰り、千代は嫁ぎ先へ向かう錦帯橋を渡らず、川西にある実家へ帰ってしまいました。
実家に戻ると父が病気で寝ていました。千代は病床の父を見て、もう嫁ぎ先へ帰らなくてもよいのだと喜んだと書いています。
ドラマでは亨一が毎晩花街に出かけ、珠と一緒に過ごさなかったことが描かれます。実際の千代は夫の外出だけでなく嫁ぎ先の家族の暮らし方にもなじめなかったのでした。
同人誌「黎明」と千代の女学生時代の文章
珠は同級生たちと「黎明」を作り、小説を発表しました。しかし、学校側から活動を禁じられ、続刊をあきらめることになります。
実際の宇野千代も、女学校時代から文章を書いていました。
岩国高等女学校の「校友会雑誌」には、千代が書いた「秋の山に遊ぶ」「秋の夕」「櫻」「雨來らむとす」などの作文が掲載されています。
さらに1913年ごろには、『女子文壇』などの雑誌へ別名で作品を投稿し、文学仲間との活動も始めています。
1915年には同人誌「海鳥」も発行しましたが、こちらは女学校を卒業してからのことです。
千代が学生時代から文章を書いていたことは、珠とよく似ています。
ただし、女学校の「校友会雑誌」は学校の生徒が参加する雑誌です。珠たちが自分の考えを発表するために作った「黎明」とは、発行の目的が違います。
また、千代が女学校時代に「黎明」という同人誌を作った記録や、作品の内容を校長に問題視されて活動を禁じられた記録は、今回確認した資料にはありませんでした。
ドラマでは、女性の地位について発言しようとする忍たちと、学校側の対立が描かれています。
清治の最期と宇野俊次の死
清治が包丁を持って外へ飛び出した場面は、実際の宇野千代が父の最期について書いた出来事によく似ています。
千代は『生きて行く私』で、病床にいた父が出刃包丁を持って家の外へ出たことを振り返っています。
大雪が降ったあとのことでした。父は台所にあった出刃包丁を手に取り、往来へ出てしまいます。
困った継母が助けを求めると、通りかかった油屋の男性が父を家へ運び入れてくれました。千代自身も泣きながら家に入ったと書いています。
ドラマでは、清治が自分と同じ姿の幻を見てから包丁を持ち出します。この「もうひとりの清治」は、ドラマの制作過程で加えられた設定です。制作統括への取材によると最初の台本には登場せず、その後、脚本と演出を検討するなかで追加されました。
また千代は晩年になって、父も自分の一生をやり直したかったのではないかと考えています。
父が亡くなった時期もドラマとは違います。
実際の父・宇野俊次が亡くなったのは、1913年(大正2年)2月8日。57歳でした。千代は1897年11月生まれなので、父が亡くなったときは満15歳です。年譜などには16歳と記されている場合もあります。
当時の千代は女学校3年生でしたが、ドラマでは珠が4年生になったあとに清治が亡くなります。
珠たちの高等女学校と「良妻賢母」の教育
家庭を担う女性のための学び
珠たちの学校では、「良妻賢母」という言葉が繰り返し登場します。
明治から大正にかけての女子教育では、女性が結婚後によい妻や母となり、家庭を担うことが期待されていました。
1899年(明治32年)に高等女学校令が定められた際も、文部大臣は、妻や母になるための素養と、生活に必要な学問や技芸を身につけさせることを教育の目的として説明しています。
高等女学校では国語や歴史、数学、理科などの一般教科に加え、家事や裁縫も教えられていました。女子生徒もさまざまな知識を学んでいましたが、卒業後は結婚して家庭を担うことが期待されていたのです。
そんな時代に、忍たちは女性の地位について論じる同人誌を発行しました。
ドラマでは学校側が内容を問題にして、発行を続ければ退学にすると告げます。ただし、これは作中の出来事で、当時のすべての女学校が生徒の同人誌に同じ対応をしていたわけではありません。
千代の成績と文章を書く機会
実際の宇野千代は、1910年(明治43年)に岩国高等女学校へ入学しました。
千代は勉強もよくできたようで、4年生の学籍簿には、全15教科の平均点が92点を超える成績が残されています。
文章を書くことも好きで、学校の「校友会雑誌」には作文が掲載されました。
ただし、父が生きていたころは、雑誌や新聞を自由に読めなかったようです。
千代は後年、父に雑誌や新聞を読むことを禁じられ、厠へ行くふりをして読んでいたと振り返っています。
父が亡くなってからは小説などを読むようになり、自作の詩や散文を雑誌に投稿するようになりました。
ドラマでも、清治の死後、珠は忍たちに「黎明」をもう一度作ろうと提案します。
父が亡くなったあと、千代が自由に本を読み、文章を投稿するようになった経験が、珠の同人誌再開にも取り入れられているようです。
第2週で気になる疑問
父の死後、千代の家族も外出するようになったのか
宇野千代の家族も、父が亡くなってから少しずつ外へ遊びに行くようになりました。
千代は後年、父が亡くなっても、弟妹たちはすぐに以前の習慣を変えられなかったと書いています。
近くに人形芝居が来たときも、弟妹たちは見に行こうとしませんでした。父が生きていたころは、自由に遊びに出かけることが許されなかったからです。
やがて弟の薫が家の外へ駆け出し、ほかの家族も外へ出かけるようになりました。
千代自身も、継母に連れられて町の宿へ浪花節を聞きに行くようになっています。
ドラマでは、清治の死後、珠が弟妹に物語を読み聞かせたり、梅に誘われて羽根つきを楽しんだりする場面が描かれました。
父が亡くなったことで、子供たちが自由に遊びに出かけられるようになったところは、千代の回想と似ています。
宇野千代にも珠と同じ人数の弟妹がいたのか
宇野千代には、継母リュウが産んだ5人の弟妹がいました。
弟の薫、鴻、光雄、文雄と、妹の勝子です。
千代は年長の姉として弟妹の世話をしており、幼い弟妹をおんぶしていたことも後年の著作に書いています。
ドラマでは、珠の弟妹として守、俊子、英男の3人が登場します。
実際の宇野家には5人の弟妹がいたので、ドラマとは人数も名前も違います。
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